トルコ:海峡の地で

 

シェヒル・ハトラル社の航路網

東ローマ帝国がコンスタンティノープル防衛を目的にボスポラス海峡から分岐する金角湾を封鎖していた鎖の一部


イスタンブルの海上交通を担うシェヒル・ハトラル社のVapur
ボスポラス海峡からみたアジア(右側)とヨーロッパ(左側)
Vapurから下船する人々

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡。その両岸に広がるのは約1600万の人口を擁するイスタンブル都市圏。この地を生きる多くの人々にとって海峡を跨ぐことは日常の一部でもある。近年ボスポラス海峡を横断する橋梁や海底隧道の重点的な整備が進められ、越境の手段は多様化した。しかし、従来から利用されてきたVapurによる海峡横断航路も未だ健在である。

両岸を結ぶVapurからアジアとヨーロッパを一望することは至福の時である。他方である点において疑念を抱かざるを得なくなることもまた事実である。私はボスポラス海峡がアジアとヨーロッパを隔てる存在であることを知っている。しかしVapurで越境したからといって体感出来る程の著しい文化的差異が現代において存在している訳ではない。存在するのはどこの都市にも存在する地域毎のグラデーションである。

海峡に面したこの地に人類が都市を築いて千数百年余り。かつて人々を隔てる自然の境界として機能していた海峡はコンスタンティノープルの陥落を経て、人類の技術とこの地で生きる人々の往来によって征服されつつある。アジアとは何か?ヨーロッパとは何か?境界とはなにか?東西文明の交差点と評されるこの街に身を浸すことで、私の中で自明的であったはずの様々な概念が揺さぶられてゆく。

匿名希望

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