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トルコ:クルド人のおじさん、セルヴァンさん

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  結婚式でハライを踊っている様子。(撮影日: 2023/9/2 ) セルヴァンさんのおじさんの家族。右から、 Murat おじさん、末っ子の Nehir 、韓国アイドルが好きな Seval 、奥さんの Nursen 、サッカーが好きな Reber 、そしてセルヴァンさんと私。(撮影日: 2023/8/13 ) セルヴァンさんの家で食べさせてもらった晩ご飯。ピーマンのピラフ詰め、パスタ、トマトのスープ。(撮影日: 2023/8/13 ) セルヴァンさんと食べた昼ご飯。鶏肉のケバブ、フライドポテト、ピラフにサラダ。(撮影日: 2023/7/2 ) トルコに留学して、様々な人と出会い、交流を深めることができた。しかし、このブログでは書ききれないような濃い体験をすることになったのは、ただ 1 人、クルド人のセルヴァンさんがいたからである。 トルコ初日の夜、寮のシャワー室にあるシャワーヘッドが取れてしまい、私達はホースのようになってしまったシャワーで体を流していた。約 1 週間が経ち、そろそろ普通のシャワーに入りたいとしびれを切らした服部くんは、他の部屋で作業をしていた清掃員さん達に新しいシャワーヘッドを交換してもらえないか頼んだ。彼らは英語を理解することができなかったため、翻訳アプリを用いてなんとかその旨を伝えた。 1 人の清掃員さんが快く了承、すぐに新しいシャワーヘッドと交換してくれたのだが、この清掃員さんこそ、セルヴァンさんである。シャワーヘッドを交換してくれたお礼に、服部くんが日本から持ってきていた抹茶のチョコレート菓子を渡すと、非常に喜んでいたのを今でも覚えている。 次の日、寮の部屋から食堂に向かうために廊下へ出ると、セルヴァンさんに話しかけられた。「昨日はありがとう、助かった」と伝えると、「ハディ!ハディ! ( こっち来て! ) 」といわれ、付いてくるように促された。言われるがままに付いていくと、清掃員の人達が使う小さい控室に案内された。何か伝えてくるので翻訳アプリに話してもらうと「お腹が空いているなら食堂に行かず、ここで私と一緒に昼ご飯を食べよう。」とのことで、せっかくの機会なのでご一緒させてもらうことにした。食堂で出るものと同じ料理が入ったトレイをもらった、職員はお弁当形式で食事を取っているらしい。毎日食べている食堂の料理には、慣れを通り越して早くも飽きが来

トルコ:怪しい日本語Tシャツを求めて

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  1 枚目の T シャツ、ダサい。(撮影日: 2023/7/23 ) 2 枚目の T シャツ、悲しくなる。(撮影日: 2023/8/1 ) 3 枚目の T シャツ、怖い。あとダサい。(撮影日: 2023/7/23 ) 外国人から見ると、日本語の文字はとても特殊で、かっこよく見えるらしい。漢字に加えて、特にひらがなやカタカナの形が独特であるため注目されるようだ。ここ、トルコ・イスタンブールでも、日本語の看板や装飾をたまに見かける。 しかし、街中を散策していく中でそれらを上回る発見があった。それは、私の大好きな「怪しい日本語 T シャツ」が売られていたのだ、しかも大量に。怪しい日本語 T シャツとは、よくわからない単語が日本語で書かれている T シャツのことを指し、日本でも外国人の観光客などが着ているのをたまに見かけることがある。普段から日本語を話す私たちには、絶対に想像ができないような単語のチョイス、そして無駄に凝ったデザインが施されているのが特徴である。そのギャップがとても面白く、興味を惹かれてしまう。イスタンブールにある服屋には、そんな面白い T シャツがたくさん売られていた。今回は、イスタンブールで怪しい日本語 T シャツを沢山見てきた私が、特に気に入ったものをピックアップして紹介する。 まず 1 枚目は、「 LC WAIKIKI 」というファストファッションのブランドで見つけた T シャツである。胸元に「自分の事を書きます」と書かれており、背面にはかっこいい龍の絵のプリントと、「追跡 簡単なルール」「 KYOTO 」といった言葉が書かれている。どこから突っ込めば良いのかわからないが、とりあえず意味がわからない。背面の龍の絵はかっこいいのだが、書いてある言葉を見るだけで一瞬にしてダサく見えてしまうのは、日本語が理解できる人だけだろう。龍の絵に釣られてこれを買う人はいると思うが、こんな訳の分からない日本語が書かれていることを知らないで着ることになるのには気の毒でしかないと感じる。 2 枚目は、「 KOTON 」という別のファストファッションのお店で見つけた T シャツである。胸元に、「付いてない日」と書かれている。日本語としてしっかりと意味は伝わるが、なぜこの言葉を選んだのか。暗い水色に、マジックで適当に書いたようなフォントが、「本当に付いていなかったんだろうな

トルコ:車好きで良かったと思ったこと

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  Muhammed くんと Abdullah くん、私の左が Abdullah くんで、上にいるのが Muhammed くん。とても高校生には見えない。(撮影日: 2023/6/6 ) トルコに来て、初めての授業を受けてから 3 日目。今日はいつも通りの授業の他に、一つイベントが予定されていた。私が通っている大学では、日本から来た私たちの他に、夏休みの期間だけトルコ語を学びに来ている生徒がたくさんいる。その人たちと先生とで、一緒に近くの公園でピクニックをするというのが本日のイベントである。 1 時間だけ授業を受けた後にバスに乗り、 20 分ほどで大きな森林公園に到着した。ベンチやテーブルがあるとてものどかな場所だった。先生たちがそれぞれ持ち寄ったお菓子や食べ物をテーブルの上に広げ、ピクニックが始まった。他の生徒たちは私たちが大学に来るよりも前から授業を受けていたようで、皆仲が良い様子だった。持ってきていたボールやラケットを使って遊んだり、お話をして楽しんでいた。一方、同じクラスのアメリカ人 2 人と私たち日本人は、皆が楽しんでいる様子を作り笑顔をして眺めているだけだった。トルコ語は数単語しかわからず、英語も苦手、初対面の人ばかりのこの空間で私たちは人見知りを極めていた。 そうこうしているうちに 1 時間が経ち、「このままではいけない」と思った私は、ドッチボールで遊んでいるグループに、まるで最初から一緒に遊んでいたような顔をして参加した。少しずつコミュニケーションも取れるようになり、下手くそなトルコ語と英語を駆使してなんとか仲を深めることが出来た。喉が乾いたので、飲み物が置いてあるテーブルに足を運ぶと「 Japonca?( 日本人? ) 」声をかけられた。生徒の中にはアジア人が私たちしかいなかったので珍しかったらしく、チャンスだと思った私はその場のノリでなんとか会話を成立させることができた。 なんとか食らいついて話していると、急に 2 人組の男性から「 Supra !?」と言われ、聞き覚えのある単語に驚いた。スープラとは、日本のトヨタ自動車が販売しているスポーツカーである。性能や見た目の良さから海外でとても人気があり、私が好きな車の一つでもある。どうやらその 2 人は車好きで、特に日本車に関心があるという。私も車が好きだったため、テンションが上がり、すぐ

トルコ:鉄道発祥の地から

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  イズミル・バスマネ駅                         寝台車の車内 食堂車での夕食 車窓に広がる広大な麦畑 アンカラ駅  イズミルはイスタンブール、アンカラに次いでトルコ第 3 の商業都市である。エーゲ海に面しており古くから貿易の地として栄えたという。 1856 年には英国資本によってトルコ初の鉄道が敷かれた。そんな街から列車に乗りたいと思い、イズミルとアンカラを約 12 時間半かけて結ぶ夜行列車「 İzmir Mavi Treni 」に乗車した。トルコ語で Mavi は「青」を意味しており、かつて日本国内の各地を結んでいた寝台特急「ブルートレイン」を連想させる。ブルートレインの名称は南アフリカで運行される豪華列車「 The Blue Train 」を由来としており、 İzmir Mavi Treni の由来については現時点において調べられていない。しかし、日本にゆかりがある者に対して親近感を抱かせる名称であることは確かだろう。  客車はアンカラ方を先頭に座席車 6 両、食堂車、寝台車 2 両の 9 両編成。アンカラ〜イズミル間は全線が電化されており、電気機関車によって牽引される。食堂車ではトルコらしくチャイや焼き立てのキョフテが提供されていた。夜行列車のため車窓を楽しむことは殆どできないが、朝方エスキシェヒル〜アンカラ間を走行中に目が覚めると車窓には広大な麦畑が広がっていた。始発駅を定刻に出発したがアンカラには 2 時間ほど遅れての到着。道中、遅延に関する案内は当然ながら存在しなかった。  近年トルコでは高速鉄道の延伸や都市圏における近郊列車網整備等の旅客輸送にも力を入れている。しかし、長距離バスと道路網の発達も相まって旅客列車の本数が思いの外少なく、貨物輸送が主体であることが伺える。ボスポラス海峡を横断するマルマライの開業によって、トルコを 経由する中国〜欧州間の国際貨物列車も運行されるようになった。推測するに遅延の原因も長距離を走行する貨物列車に起因するものなのだろう。かつて外国資本によって敷かれたトルコ鉄道だったが、今や自国の繁栄をもたらす鉄道へと変貌を遂げている。 匿名希望

トルコ:海と鉄道

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  イスタンブル海軍博物館のエルトゥールル号に関する展示 トルコ・イシュ銀行博物館で展示されていた鉄道網と航路網が記載されたトルコ地図 貨物港が隣接するハイダルパシャ駅(写真左奥にガントリークレーンが確認できる) トルコにおける鉄道発祥の地イズミル・アルサンジャック駅 アンカラ駅に併設される鉄道博物館で展示されていた貨物船の模型 1890 年 6 月 7 日、イスタンブルから約 11 ヶ月の航海を経て横浜港に入港したオスマン帝国海軍エルトゥールル号。航海の目的のひとつには西洋諸国との不平等条約に苦しんでいたオスマン帝国と同様の状況にあった日本との親善を図ることがあったという。のちに和歌山県串本町近海で遭難した同艦から始まる日本とトルコの友好関係は『海難 1890 』として 2015 年に映画化された。   1872 年 10 月 14 日、新橋〜横浜間で日本初の鉄道が正式開業した。エルトゥールル号が横浜港に入港する約 8 年前の事である。幕末から明治にかけて近代化を推進すべく招聘された御用外国人の存在は有名だが、技術者のみならず鉄道建設に必要な資材も自国生産が難しく英国からの輸入に依存していた。輸入した鉄道資材は開港地である横浜港で荷揚げされており、日本初の鉄道が横浜の地を結ぶこと。言い換えるならば海陸交通の連絡を意識した路線である点は荷揚げ後の資材移動を考慮すれば当然である。   1883 年に開業した高崎線は富岡製糸場が位置する両毛地域で生産された生糸を効率的に横浜港から輸出することを目的に建設された経緯を有する。当時、生糸の輸出は近代化政策によって生じる貿易赤字軽減策として重要視されていたことから国家を支える大動脈であったことが伺える。  余談にはなるが、日本とトルコは近代化の過程における類似点が多々指摘されており、高崎線と同様に資源のある内陸から港街へと敷かれた鉄道も多い。日本において鉄道とは「海の向こ う」から到来した技術であり、日本の鉄道網も海を介して外国と繋がっているのだと私は思う。トルコの鉄道は何を運び、海を介して何処と繋がり、そして近代史にどのような影響をもたらしたのだろうか。 匿名希望

トルコ:海峡の地で

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  シェヒル・ハトラル社の航路網 東ローマ帝国がコンスタンティノープル防衛を目的にボスポラス海峡から分岐する金角湾を封鎖していた鎖の一部 イスタンブルの海上交通を担うシェヒル・ハトラル社の Vapur ボスポラス海峡からみたアジア(右側)とヨーロッパ(左側) Vapur から下船する人々 アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡。その両岸に広がるのは約 1600 万の人口を擁するイスタンブル都市圏。この地を生きる多くの人々にとって海峡を跨ぐことは日常の一部でもある。近年ボスポラス海峡を横断する橋梁や海底隧道の重点的な整備が進められ、越境の手段は多様化した。しかし、従来から利用されてきた Vapur による海峡横断航路も未だ健在である。 両岸を結ぶ Vapur からアジアとヨーロッパを一望することは至福の時である。他方である点において疑念を抱かざるを得なくなることもまた事実である。私はボスポラス海峡がアジアとヨーロッパを隔てる存在であることを知っている。しかし Vapur で越境したからといって体感出来る程の著しい文化的差異が現代において存在している訳ではない。存在するのはどこの都市にも存在する地域毎のグラデーションである。 海峡に面したこの地に人類が都市を築いて千数百年余り。かつて人々を隔てる自然の境界として機能していた海峡はコンスタンティノープルの陥落を経て、人類の技術とこの地で生きる人々の往来によって征服されつつある。アジアとは何か?ヨーロッパとは何か?境界とはなにか?東西文明の交差点と評されるこの街に身を浸すことで、私の中で自明的であったはずの様々な概念が揺さぶられてゆく。 匿名希望

トルコ:初日

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  みんなで食べたラフマジュン 合計およそ 15 時間の長いフライトを経て、無事にトルコに着くことができた。空港は沢山の人で溢れかえっているが、聞こえる言語はすべてトルコ語、私はこれからの生活に胸を躍らせた。 ゲートを出ると、現地の大学に勤務している日本人の山本先生、そして留学先の大学の先輩で、私たちのサポートをしてくれるセブデさんが待っていた。 空港で高い SIM カードを買った後、言われるがまま車に乗り込み、 1 時間もしないうちに大学に着いた。もう日が落ちているためキャンパスは暗かったが、とても広く綺麗なことはわかった。しかし、風が強くとても寒い。。私はキャリーケースに入っている服のことを考え、そこには半袖の T シャツしか無いことを思い出し、忘れることにした。 セブデさんの友だちであるエブが、キャンパスの中を簡単に案内してくれた。私たちが暮らすことになる寮はとても綺麗だった。しかし、元々 1 人部屋だと伝えられていたはずが、 3 人で 1 つの部屋だと言われた、先が思いやられる。。 部屋に荷物を置いた後、広いテーブルがあある大きな建物に移動した。時刻はもう既に 22 時をまわっていたが、皆晩ご飯をまだ食べていなかったために先生が出前を取ってくれたらしい。お腹がとても空いていたので嬉しかった。 取った出前は「ラフマジュン」と呼ばれるピザのような食べ物だった。トルコでよく食べられる B 級グルメらしい。薄く丸い生地に、ひき肉やスパイスを乗せて焼いたもので、そこに別添えしてある野菜を乗せて包んで食べるのが正しい食べ方だと教えてもらった。味は思ったよりもジャンキーで、にんにくが効いていてとても美味しかった。しかし、ラフマジュンには問題点もある、それは、生地がモチモチすぎて噛み切れないということ、そして皆で食べるにしても量が多すぎるということだ。私は少食な方ではないし、お腹は空いていたのでいけるだろうと思っていたが、これは何枚も食べるものではないと確信した。「もてなしてもらっているのに残したら悪い」という気持ちと「あまり食べれないものだから食べたい」という気持ちから、結局 3 枚半食べた。案の定本当にお腹がいっぱいになってしまったが、楽しい会食だった。 その後は部屋に戻り、シャワーを浴びていよいよ入眠という流れになった。私はシャワーに入るのをめ

トルコ:トルコ*チャイ

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カフェのおじさんからサービスしてもらったチャイ 絨毯屋さんのおじさんが入れてくれたエルマチャイ(アップルティー) トルコ語のクラスでお出かけした時のチャイ 寮の朝ごはんとチャイ トルコ人にとってなくてはならない飲み物、それは「チャイ」です。 日本では、チャイと聞くとシナモンやスパイス系の独特な風味のある好き嫌いの分かれるものを想像しますが、トルコのチャイはいわゆる紅茶です。 トルコ人は毎日チャイを飲みます。 朝ごはんでチャイ、食後にチャイ、休憩でチャイ、デザートとチャイ、寝る前にチャイ、、、 しかもそれは一杯では止まりません。毎回 2 〜 5 杯くらいは飲みます。 トルコのチャイは、紅茶葉を煮出して少し休ませ、飲むときにお湯で自分の好きな濃さに薄め、好きな量の砂糖を入れて飲みます。 チャイには専用のグラスがあります。 可愛い小さいチューリップのような形で、すっぽり手に収まるサイズの腰のくびれたグラス。淹れ立てのチャイはとても熱くて、慣れないと持てません。 私もトルコで何杯ものチャイを飲みました。 大学の朝食でチャイが出てきて、カフェのおじさんにチャイをサービスしてもらって、出かけた先のカフェでチャイを飲み、絨毯屋さんのおじさんにチャイをいただき、後半 20 日間ホームステイした友達のお家では毎日 3 〜 5 杯くらい飲みました。 今となってはチャイが恋しいです。 トルコの空港で最後にチャイのお茶パックを買って帰ってきましたが、やっぱり茶葉をそのまま煮て専用のケトルで作って、専用のグラスで、トルコで、飲むチャイとは全然違います。早くトルコに行って「チャイ」を飲みたいです。 トルコ人にとってなくてはならないチャイ、どっぷりトルコに染まった私にとっても、なくてはならなくなりました。 nkmrmi

セネガル:セネガルの人々について

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木彫り職人が仕入れた木材              リシャ―トル出身の学生が住む宿舎               デコさんとセイドゥの会話の様子 GS 学科所属セネガル渡航中 3 回生のあんぱんまんです。 今回はセネガルで出会った私の友人たちを紹介することを通じて人々がどのように生活を営んでいるかについてお伝えできればと思います。 まず初めに紹介するセイドゥは、私たちと同じく UCAD (ダカール大学)で学んでいる友人です。彼の魅力は、まさに圧倒的に明るいし社交的であることです。 UCAD のキャンパスを彼と一緒に歩くと、本当に驚くべきことに、何度何度も「セイドゥ!」と声をかけられます。彼は人々からとても愛されており、彼もまた友人たちに深い愛情を持っています。さらに、セイドゥはとても親切な人です。初めて彼に会った時、私のパソコンが壊れてしまったと話したら、「留学中は俺のパソコンを貸してやるよ」と言ってくれました。驚くべきことに、初対面の私に本当にパソコンを貸してくれたのです。 セネガルの人々、そしてアフリカの人々は一般的に来訪者に対して熱烈な歓迎をしてくれますが、彼のホスピタリティはそれらをはるかに凌駕していると思います。彼はリシャートル出身で、ダカールではリシャートル出身者たちが住む学生宿舎の総代を務めています。何か困っていることはないかと常にリシャ―トル出身の学生たちに気を配っていました。その結果として彼の携帯電話が鳴りやむことはありません。リシャートルはセネガル北部の地域であり、彼がその出身地に対して並々ならぬ誇りを抱いていることが伝わってきます。このように彼のリーダーシップと責任感は、学生宿舎の運営やイベントの企画などでいかんなく発揮されています。セイドゥの存在は、セネガルでの生活や人々の暖かさを象徴しています。彼のような友人と出会えたことは、私にとって非常に貴重な財産です。セネガルの人々の心温まる歓迎とセイドゥのユーモア溢れる人柄に触れながら、私は彼がどのような成長を遂げるのか、非常に楽しみです。 次に紹介するのは、前回のブログ記事でも紹介したマルシェ・スンべジュンで働くデコさんです。彼は木彫り職人たちの棟梁であり、セネガルでは珍しくフランス語とウォロフ語に加えて英語も話すことができる職人さんです。デコさんはカザマンス地方出身ですが、現在はマル

セネガル:セネガルでは大量のコピースニーカーが売られている?!

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靴屋の様子 サイズの紙が貼ってある 靴屋の様子 偽物のタグ 靴の倉庫の様子 皆さんこんにちは。どうお過ごしでしょうか。 セネガルに関してのブログを記すのも今回が最後になりました。今回はセネガルに住んでいる人の足元に注目してみようと思います。 私は、ダカールはおしゃれな街と聞いて、セネガルに行ったのですが、想像していたものと異なっていました。セネガルに住んでいる人の足元に注目すると、ほとんどフェイクのスニーカーやサンダルを履いているからです。ダカールの HLM地区 の南にあるコロバンという地域に行くとスニーカーを売っている露店がたくさんありました。もちろん新品に見えるものはほとんど偽物です。これがセネガルのファッションの文化を作っているといっても過言では無いでしょう。 ですが懸念点はみんな本物だと思っている点である。皆ジョーダンや、エアフォース1など言葉は知っているものの、オリジナルと思って履いています。それは少し悔しいと思いました。やはり本物と比べると、少し形が違ったり、素材も違いが出ていたりするので、本物を履くともっと似合う、格好いいと思います。 Lamine

セネガル:フィールドワーク

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西アフリカ最大のモスク(トゥーバ) トゥーバのモスクの内部   今回は私のフィールドワークについて書こうと思う。 フィールドワークはセネガルに来た最大の目的である。しかし、私はフィールドワークをすること自体が初めてで何から手を付ければいいかわからない・・・。確かにセネガルに来る前までに計画書をしっかりと書いた。だが、その通りスムーズに進むはずもなくあくまで目安として活用した。 さて、そもそも私のフィールドワークのテーマは女性の衣服と身体所作である。そのため、仕立て屋さんでフィールドワークを行う計画にしていたが、目星をつけた仕立て屋さんに女性のお客さんが来ない・・・。これはどうしたものかと思い、フィールドワーク先を変更し、モスクで行うことにした。 イスラム教では毎週金曜日は特別な礼拝の日でみんな着飾ってモスクに来るのである。そのため金曜日を重点的にモスクでアンケート調査を行った。フランス語が全然できないのでアンケート用紙を作って行えばそれなりに調査は進むだろうと思っていた。しかし、セネガルは公用語はフランス語だが、地域語としてウォロフ語というものがあるため、両方の言語ができる人が大半だが、ウォロフ語しかできない人と出会ったときはとてもコミュニケーションをとるのに苦労しが、幸いにも大体その際に周りに両言語が分かる人がいたため通訳をしてもらっていた。 だんだんと回数を兼ねるにつれどういう風に話しかけたら、話を振ったらよりたくさんの話をしてくれるかなどのコツをつかむことができた。こうして何とか私のフィールドワークが終わったわけだがつくづく思うのが「計画書をちゃんと作っておいて良かった」ということである。もし作っていなかったら、本当に路頭に迷うところだったからである。今回の渡航・フィールドワークを通して、準備は用意周到にするべきであることを身に染みて感じることができた。 Kany Cisse’

トルコ:トルコ語の授業

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授業のホワイトボードにプロジェクターを映して翻訳を使いながらの授業 トルコで一番長い一つの言葉 ゲームを用いての授業 カフェで自習している様子 サマースクール終了時に先生からいただいたメッセージ トルコ人の英語力は日本とほぼ同じくらい。つまり、喋れる人はいるが、全くわからない人も多い。 私たちはトルコ語が全くわからない状態で日本を出たので、お互い何を話しているのか、何を伝えたいのか、全くわからない状態でのスタート。 トルコ語コースは 6 クラスに分かれていて、 A1 から 7 週間ごとに上がっていく。私たちはもちろん、 A1 。トルコ語のアルファベット、発音、挨拶から勉強した。 トルコ到着 1 週間後、私たち日本人6人に、加えてコロンビア大学からアメリカ人が2人の計8人のクラスで、トルコ語の授業が始まった。 私たちの先生は、月水金担当のいつも元気で笑いの絶えないみんなのお母さんのような先生と、火木担当の優しくいろんなことを教えてくれる、娘思いのイクメン、イケメン先生の二人組。 一番初めは「こんにちは」のトルコ語、「 Merhaba 」すらも知らない状態からのスタートだったが、テキスト 2 冊を 7 週間で終わらせないといけない。途中何度も難しいパートが来ては挫折しそうになりながらも、毎日毎日朝から昼までの授業と、授業後は大学のカフェに篭って自習、夜は寮に帰ってトルコ人とコミュニケーションを取った。今までの人生でどの受験勉強よりも、過去 1 「勉強」をした。 ありがたいことに、カフェのおじさんたちと仲良くなり、大学内の荷物運びのおじさんと仲良くなり、受験勉強に来ていた高校生たちと仲良くなり、授業外でたくさんトルコ語を聞くこと話すことができた。 アメリカ人二人はトルコ語を元々知っていたり勉強していたりで、トルコ語がよくできた。 そこで私の負けず嫌いの性格が役に立ち、彼女たちに必死に付いて行って、毎週行われるゲーム形式の授業で初めて二位に立てた時は嬉しすぎて写真を撮ってしまった ...( 笑 ) 大変な授業も長いようで短い。半分を超えたあたりからは本当に一瞬だった。あと 2 週間しか無い。あと 1 週間。あと、それぞれの先生 1 回ずつの授業で終わり。とカウントダウンをするのが寂しかった。 ある時、宿題のプリントにクラスみんなの似顔絵を落書きしていたら、「何それかわいい!

セネガル:セネガルにおける交通問題

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  バスの様子 タクシーから見えた街の様子 セネガルにおいて時間にルーズな部分をさまざまな場面で感じたのですが、特に交通においては毎日車道は大渋滞、30分あれば大学に行ける道も最大2時間かかったりしてしまうようなその問題を毎日見てきました。 セネガルにおいて交通問題は長年続いており、改善が求められているのですが解決には時間が必要なため長期化してしまっています。 しかしながら市内でも新たな道路建設や公共交通システムの導入などの取り組みを見ることが出来ました。 その影響で公共交通機関にも遅れが発生し、バスやカーラピが満員になることも日常茶飯事でした。 このような問題は人々の生活に大きく関わると思うのですが、その日常を今まで生きてこなかった私にとってはとても不便に感じ、遅刻を繰り返してしまったり、乗り物を使っての移動に辛さを感じる こともありました。 それに対して毎日戦っている友達や先生などにどう考えているのか気になり質問したところ、全ての人が問題に感じつつもどうしようもない現実から諦めていると話していました。 しかしながら彼らと約束しても遅刻は少なく、社会に慣れる必要がある生活は私たちと同じであり、むしろ渋滞に巻き込まれた時にはもっと長く話ができるじゃないか、などポジティブな部分も見ることができ、乗り物を使った移動も楽しい思い出がたくさんあると今ではそう思います。 Fatou Sagna

トルコ:カラオケ大会inトルコ

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(写真1) 友達からのメッセージ 突然、こんなメッセージが届いた。(写真1)   「女子限定のカラオケ大会があるんけど、来ない?」 そう送ってきてくれたのは、私がイブン・ハルドゥーン大学で語学研修中に友達になったトルコ人の高校生。なぜ大学に高校生?と思うかもしれないが、私たちの入学と同時期に、数ヶ月前のトルコ・シリア地震被災地域から200人の高校三年生が受験勉強をするために 1 ヶ月間イブンハルドゥーンにきていたのだ。彼女もそのうちの一人。 そして、彼女らは平日毎日朝から晩まで勉強し、週末は街中散策や大学内でイベントを用意されていた。そのイベントの一つが今回のカラオケ大会。 高校生のためのイベントだから参加してもいいのかな。。。とはじめ遠慮しようとしていたが、誘っ てくれた子が担当の先生にも話を通してくれていたので、ありがたく参加することにした。 (写真2)カラオケ大会の会場(撮影日: 2023/7/16 ) (写真3)みんなで舞台上に上がっている様子(撮影日: 2023/7/16 ) (写真4)トルコ人とともにプロジェクターを使って影絵を楽しんでいる様子(撮影日: 2023/7/16 ) 大会当日、少し緊張しながら会場に向かうと、それまでに話したことのある高校生たちもたくさんいて、歓迎してくれた。 カラオケ大会の曲はほとんどがトルコの曲で、全然知らない曲ばかりだったが、楽しかった。 一人一人の歌が終わると、みんなで舞台に押し寄せて、私も引きづり込まれて、わからないながらも一緒に歌って、一緒に踊って、ただただ楽しかった。この頃はまだトルコ語の勉強も初めて 1 ヶ月もたっていない頃だったので彼らの言葉もいまいちよく理解できなかったが、本当に楽しかった。 音楽、ダンスの力は偉大だなと改めて実感した。 音楽、ダンスは共通言語だなと。 汗だくになりながら、思い出の夜となった。 nkmrmi

トルコ:大雨

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  大雨の様子(撮影日: 2023/9/5 ) 浸水の様子(撮影日: 2023/9/5 ) 浸水の様子(撮影日: 2023/9/5 ) 帰国 3 日前の日。 この日は、大学構内にあるカフェに夕食を食べに行った。お世話になったカフェのおじちゃんたちに 3 日後に帰国することを伝えた。 しばらくすると、雨が降ってきた。今までは、雨が降っても、すぐ止んでいたので今回もすぐに止むと思っていたが、時間がたつにつれ、どんどん強くなっていった。寮に戻ろうにも傘を持っておらず、少し距離があったため、様子を見ていたら、カフェのおじちゃんや隣接しているジムの受付のお姉さんたちが集まり、建物の中に入ってきた水を外に出していた。みんな帰ろうにも帰ることができず、ジムを利用していた方が、カフェに流れてきて、中は大混雑だった。 その後、停電し、夜だったため、真っ暗になった。友人といたため、走って寮に帰るか相談していたところ、大学院に通うケニア人のお兄さんが話しかけてくれた。「ここまで雨が降るのは見たことない。」と言っていたので、珍しいことだったのだと思う。結局、友人とケニア人のお兄さんと三人でびしょびしょになりながら、走って寮まで帰った。日本でもあまり経験しない出来事に遭遇し驚いた。 Ayşe