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スペイン:行ってみてよかったマラガ

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 4月18日、学校のスケジュールの一環としてマラガを訪れた。グラナダからバスで約1時間半という距離にあり、日帰りでも訪問できる場所である。内陸に位置するグラナダとは異なり、地中海に面したマラガは海からの風が心地よく、バスから降りた瞬間から開放感があった。   最初に訪れたのは「アルカサバ(Alcazaba)」と呼ばれる城塞である。内部には「パティオ」と呼ばれる中庭が設けられ、そこには豊かな緑や水の要素が取り入れられていた。中庭や部屋の天井の高さなどから、居住空間としての快適さや美しさが重視されていたことが考えられる。また、高台に築かれているため、城塞からはマラガの街並みと海を一望でき、城塞からの景色は言葉を失うほどきれいであった。 続いて訪れた大聖堂は、キリスト教文化の荘厳さを象徴する空間であった。内部には大きなステンドグラスや壮麗なオルガンが設置されており、さらにイエス・キリストの像や数多くの宗教画、シャンデリアが厳かな雰囲気を作り出していた。 その後、近くの公園を訪れると、画家パブロ・ピカソの銅像や、彼が幼少期を過ごしたとされる家を見ることができた。さらに周辺にはピカソの作品を展示する美術館もあり、お店にピカソの絵が描かれたポストカードが売られているなど街全体が芸術と深く結びついていることを感じさせる。今回は美術館を訪れることはできなかったが、マラガが単なる観光地ではなく、文化的価値の高い都市であることを実感した。 最後に訪れた港周辺はそれまでの歴史的な雰囲気とは一転し、現代的で活気に満ちた空間であった。カフェや雑貨店、ハンドメイドのアクセサリーを扱う店が立ち並び、多くの人々でにぎわっている。近くの海辺では日光浴を楽しむ人や泳ぐ人の姿が見られ、地中海沿岸ならではの穏やかで自由な時間が流れていた。  今回の訪問を通して、マラガは単に海辺のリゾート地というだけでなく、宗教や歴史、芸術が交差する魅力的な都市であると感じた。 ピカソの銅像(2026/4/18 撮影)           ALCAZABA からの景色(2026/4/18 撮影) 大聖堂の天井とステンドグラス(2026/4/18 撮影) 大聖堂のオルガン (2026/4/18  撮影 )

スペイン:夜に弾ける乾杯の音

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   「¡Salud!(乾杯!)」   軽快なグラスの音が夜の空気に弾ける。飲んで、食べて、笑う。店の外に出れば、通りにはギターの音色と情熱的な歌声が溢れ、グラナダの夜はどこまでも賑やかだ。気づけば、ふらりと立ち寄る“行きつけ”のバルができるほど、この街に心を奪われていた。情熱の国とはまさにこのことか、と何度も実感する日々だ。   しかし、そんな留学生活も残すところあと 1 ヶ月を切った。日本への帰国が刻一刻と近づく中で名残惜しく感じるのは、やはりグラナダ特有のタパス文化と、この温かな賑わいである。お酒を頼めば自然と料理が運ばれてくるあの気軽さ、人々の距離の近さ、そして夜が深まるほどに増していく活気が恋しくなりそうだ。さらに幸いなことに留学中に 20 歳を迎えた私は、人生で初めてのお酒をこの地で味わうことができた。異国の空気の中で口にした一杯は、ただの飲み物ではなく、特別な意味のある体験だった。今回は、そんな現地でのバル体験とともに、印象に残ったお酒についても紹介していきたい。       飲み物1杯につき1つ、軽食がついてくるタパス文化。 店によって出てくる料理が違うのも魅力。 この店では、肉料理や魚料理の中から自分で選ぶことができた。   (撮影日:2026 年 5 月1日)   Tinto de Verano (ティント デ ベラーノ)と呼ばれるお酒。  夏の赤ワインという意味でバルやレストランには必ずある。 赤ワインと炭酸水を 1:1 で割り、レモンを加えたもの。 甘口はとても飲みやすい。   (撮影日:2026 年4月 14 日)   Rebujito(レブヒート)と呼ばれるお酒。 Vino de Jerez(シェリー)とライムや レモン風味の炭酸飲料を 1:1 で割ったもの。 軽くさわやかな味わい。   (撮影日:2026 年 4 月 27 日)   Calimocho(カリモーチョ)と呼ばれるお酒。  見た目はティント デ ベラーノ(2枚目)と似ているが、 これは赤ワインとコーラを 1:1 で割ったもの。 甘さの中にほのかにコーラの風味が感じられる。   (撮影日:2026 年 4 月 ...

スペイン:スペインにおけるポスター広告

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 グラナダでは、歩道やバス停などにポスター広告があった。それはマドリッドでも同じで、よく見られた。マドリッドでは、グラナダとはまた違った広告があった。工事中の養生シートが建物の柄が模されており、マドリッドは特に景観に重きを置いていると感じさせられた。養生シートの上から(?) 巨大なポスター広告が設置されており、グラナダでは見かけなかったため、違いを感じた。(写真1)(写真2)(写真3)   グラナダにいた時、何度もポスター広告を見ていたが1週間に1回程の頻度で入れ替えがあったと感じた。あくまで体感ではあるが、そのくらいの頻度で広告が変化していた。もう一つ、こちらも体感ではあるが、グラナダよりマドリッドの方が、電子広告が少し多いと感じた。(写真4)ポスター広告と同じ大きさ。基本的に、ポスターの大きさは統一されていると感じた。他にも、ポスターが建物などにも貼られたりしている。だが、それらはグラナダにいる時、清掃業者に剝がされているのを見て、無断で、勝手に貼られているものであることが分かった。(写真5)   来る前はポスター広告がこんなにあると思わなかった。スペインに居られる時間はもう少なってきている。時間が許す限り沢山、写真を撮っていきたい。 写真1 グラナダのポスター広告 写真2 マドリッドのポスター広告 写真3 マドリッドの巨大広告 写真4 マラガの電子広告 写真5 マドリッドの無断で貼られていると思われるポスター

セネガル:初めての調査

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  写真:実際に説明を受けた伝統的木造船「ピログ」 セネガルで生活をして 2 ヶ月が経ちました。生活は安定して語学面も順調に進むことができていますが、語学学校は 5 月 9 日で最後になるので最低限の基礎を固めて残りの約 1 ヶ月でアウトプットを中心に伸ばしたいと思っています。 私の調査テーマは、セネガルの漁で使われている伝統的木造船「ピログ」(写真1)です。 短期フィールドワークの際に立ち寄った工房で淡々と作業している姿に魅力を感じて今回の調査テーマにしようと決断しました。 ピログには多種多様な船体があり、観光用で使われる長さ 20m ある大型な船もあれば、漁で 3 人ほどの船員が乗れる小さなものもあります。そして大きな特徴として、すべてのピログに色鮮やかな塗装がされていて、職人の手で細かく描かれており、同じデザインのピログはないと仰っていました。 今回の調査は、ブログ 1 で紹介した友人がとても親切に手助けしてくれています。 4 月 25 日、私はその友人に相談してスンベジュン( soumbedioune )と呼ばれるマーケットのピログを制作する工房に訪れました。 スンベジュンでは、私と友人で 1 つずつメモ帳を持ち、私が聞き取れる単語を日本語でメモをとり、友人にフランス語でメモを取ってもらいました。説明が終わった後に英語と翻訳を駆使して詳しい説明をしていただきました。建造工程やウォロフ語で呼ばれる部位の名前。特に聞いていて面白かったのは塗装の説明でした。塗装には大きく分けて3グループの役割があり、デザインを持ち主の要望に合わせる製図家、ベースをむらなく均等に塗るペインター、そして製図されたデザインをピログに模写をする3グループに分かれていました。その中でも今は製図する過程でデジタルに移行していることに強い衝撃を受けました。 工房での聞き取りを通して、ピログの構造や制作工程だけでなく、現地で使われているウォロフ語での言葉や呼び名の違いにも触れることができました。 また、ピログの船体の材料となる木材については、同じものでもフランス語やウォロフ語で複数の呼び方があるため、説明を単純に翻訳するだけでは特定が難しいと感じています。 今後も足を運んで残りの 1 ヶ月を無駄にしない様に頑張っていこうと思います。 カラ

セネガル:セネガルの観光地

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  写真1.石垣と植物に囲まれたンゴールの路地 写真2.赤とピンクの花が美しい セネガルに来てはじめての観光旅行に行った。行先は、友人が以前訪れた土地の中でお勧めの観光地であるンゴール( NGOR )である。ンゴールはダカールの北西にある 海に面した地区で、砂浜では多くの子供たちが遊んでいる。 セネガル本土の海岸には観光客多くサングラスや水着、浮き輪などの観光客向けの商品の陳列が多かったが、 砂浜から出ているピローグで約5分の距離にあるンゴール島 ( Ile de Ngor ) は、非常に 小さな島で、 海岸には本土の海岸より、さらに多くの観光客であふれている。そして、砂浜にパラソルとビーチチェアが多く設置され観光客で溢れレストランが密集していることである。しかし、砂浜から少し中に入ると住宅地に入ると、 車やバイクはなく、とても静かな島だ(写真1)。 石垣が続きその向こう側から木や花が伸び南国を感じられる道(写真2)を歩いていると壁や看板、椅子に施された様々なアート作品が見つかり歩くだけで面白い。石垣から伸びるきれいな植物と青い空、そして海が視界に入ると別世界に来たように思える。 この島では、シュノーケリングやサーフィンなどのマリンスポーツ、砂浜や人の少ない島の裏側でくつろぐことができる。 写真3.アンコウの串焼き 砂浜での食事は「アンコウの串焼き( Brochettes de lottes )」(写真3)という、アンコウと野菜の串焼きと玉ねぎとレモンマスタードをベースにした「ヤッサ( Yassa )」と白米を頂いた。アンコウを食べたのは初めてだったが、あっさりとした魚の旨味と程よい酸味のソースがあまりにもバランスのいい料理だった。潮騒を聞きながら島を歩き潮風に吹かれながらの食事のひと時は、ダカールから手軽に訪れることのできる楽園であった。 写真4.岩に囲まれ水深が浅く水生生物がみられる、いろいろな貝殻が落ちており日光を反射する 匿名希望

セネガル:五感で感じる信仰の形

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 現地サポーターの須藤さんとの食事をきっかけに、私の調査は大きな進展を見せた。須藤さんから紹介いただいた安藤さん宅を訪ね、その夫であるカリファさんと出会ったことが全ての始まりだ。カリファさんはティジャーニアの家系に生まれ、ヨルダンでアラビア語を学んだ経験を持つ。自身を「特定の教団というより、一人のムスリム」と俯瞰して捉える彼の視点は、非常に興味深いものだった。そんな彼から紹介されたのが、ティジャーニアのマラブー(聖者)、シェイクさんである。  丁寧な連絡を送るも、四日間の未読。諦めかけていた時、「明日の 16 時半にモスクに来なさい。インシャーアッラー」というボイスメッセージが届いた。 Insha'Allah, 「神が望むなら」を意味するこの言葉は、セネガルでも日常的に使われていて、私自身も普段から使用している言葉だ。しかし、突然のことで心の準備が整わないまま、私は指定されたモスクへと向かった。 写真1.シェイクさんの教え  礼拝を済ませ、少しずつ人が少なくなった頃、ようやくシェイクさんと合流できた。すると彼はモスクの中央にマイクを置き、朗々と教えを唱え始めた。(写真 1 ) 18 時、礼拝の 1 時間前にもかかわらず人が増え始めると、中央に大きな白い布が広げられた。それを約 30 人の男たちが囲み、ついに「ズィクル(神を念じる唱名儀礼)」が始まった。ついに自分の 身体でこの空間を体験できたことに、深い感動がこみ上げる。唱えが終わる 19 時過ぎには、いつの間にか 200 人を超える人々でモスクが埋め尽くされていた。 写真2.マグリブの後のズィクル  日没後の礼拝「マグリブ」を終え、すでに 4 時間近く動いていた私の身体は悲鳴を上げていたが、シェイクさんに「ここに座れ」と促され、再び腰を下ろした。すると突如、モスクの電気が全て消された。暗闇の中で響き渡るズィクル。(写真 2 )視覚を奪われたことで、人々の声と信仰のエネルギーがより鮮明に、ダイレクトに心に響く。興奮が全身を駆け抜けた。 写真3.チェレヤップ 写真4.アタヤ  全ての儀礼が終わったのは、夜の最終礼拝「イシャー」を終えた頃だった。シェイクさんに誘われるまま、モスクの隣にある建物へ足を踏み入れると、そこには豪華な部屋とお手伝いさんの出迎えがあった。そこで振る舞われたのは「チェレヤップ(クスク...

トルコ:Edirne(エディルネ)日帰り旅行

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  Karaağaç (カラアーチ)での朝食( 2026/4/18 ) トルコへ来てから 1 か月と2週間ほどが過ぎた。平日は毎日授業で週末は調査と、なかなか観光などをする時間がないが、そんな中、 4 月 18 日に寮主宰のエディルネ( Edirne )日帰り旅行イベントが開催されていた。トルコを観光できるせっかくの機会のため参加した。 当日はバスが朝 7:30 に学校を出発予定であったため、 6 : 30 に起床した。早朝はまだ少し寒さがあるため、アウターを羽織って出かけた。バスは大学の正門から出発である。寮から大学の正門までは歩いて 10 分ほどかかるため、寮を少し早めに出発した。大学からエディルネまでは 2 時間ほどかかる。バスに乗っている間、外の景色を眺めたり、睡眠をとったりした。 10 : 30 頃、 カラアーチ( karaağaç) というエディルネの郊外にある地区にて、朝食を食べた。(写真 1 )普段食堂で食べる食事では、スープなどに豆が多く使われていたりするが、ここで食べた食事にはそもそもスープもなく豆も一切なかったため、トルコ国内の地域色のようなものを感じた。 写真2.カラアーチ駅(2026/4/18) 朝食を食べた後は、過去に欧州とトルコをつなぐ鉄道の駅として利用されていた「カラアーチ駅」を訪れた(写真②)。現在は「トラキヤ大学」の施設の一部として利用されているらしく、外からしか見ることができなかったが、外観は「少し豪華な駅」といった印象を受けた。また、ここには当時使われていたとされる汽車も置かれており、たくさんの人が汽車とともに写真を撮っていた。 写真3.医学博物館内に展示されている医療器具の展示(2026/4/18) その後は、医学博物館を訪れた。この博物館は、バヤズィット 2 世( 1447 ― 1512 年 )が 15 世紀に病院として利用していた建物が回収されたものである。博物館には、過去の診察のデータ (文書) や病に関する当時の治療方法、当時使用されていた医療器具などが展示されていた(写真③)。解説を読んで理解するのは難しかったが、医療器具の展示品や当時の現場を再現したモデルの展示は、見ているだけでも非常に面白かった。 Ramazan