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セネガル:セネガルの観光地

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  写真1.石垣と植物に囲まれたンゴールの路地 写真2.赤とピンクの花が美しい セネガルに来てはじめての観光旅行に行った。行先は、友人が以前訪れた土地の中でお勧めの観光地であるンゴール( NGOR )である。ンゴールはダカールの北西にある 海に面した地区で、砂浜では多くの子供たちが遊んでいる。 セネガル本土の海岸には観光客多くサングラスや水着、浮き輪などの観光客向けの商品の陳列が多かったが、 砂浜から出ているピローグで約5分の距離にあるンゴール島 ( Ile de Ngor ) は、非常に 小さな島で、 海岸には本土の海岸より、さらに多くの観光客であふれている。そして、砂浜にパラソルとビーチチェアが多く設置され観光客で溢れレストランが密集していることである。しかし、砂浜から少し中に入ると住宅地に入ると、 車やバイクはなく、とても静かな島だ(写真1)。 石垣が続きその向こう側から木や花が伸び南国を感じられる道(写真2)を歩いていると壁や看板、椅子に施された様々なアート作品が見つかり歩くだけで面白い。石垣から伸びるきれいな植物と青い空、そして海が視界に入ると別世界に来たように思える。 この島では、シュノーケリングやサーフィンなどのマリンスポーツ、砂浜や人の少ない島の裏側でくつろぐことができる。 写真3.アンコウの串焼き 砂浜での食事は「アンコウの串焼き( Brochettes de lottes )」(写真3)という、アンコウと野菜の串焼きと玉ねぎとレモンマスタードをベースにした「ヤッサ( Yassa )」と白米を頂いた。アンコウを食べたのは初めてだったが、あっさりとした魚の旨味と程よい酸味のソースがあまりにもバランスのいい料理だった。潮騒を聞きながら島を歩き潮風に吹かれながらの食事のひと時は、ダカールから手軽に訪れることのできる楽園であった。 写真4.岩に囲まれ水深が浅く水生生物がみられる、いろいろな貝殻が落ちており日光を反射する 匿名希望

セネガル:五感で感じる信仰の形

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 現地サポーターの須藤さんとの食事をきっかけに、私の調査は大きな進展を見せた。須藤さんから紹介いただいた安藤さん宅を訪ね、その夫であるカリファさんと出会ったことが全ての始まりだ。カリファさんはティジャーニアの家系に生まれ、ヨルダンでアラビア語を学んだ経験を持つ。自身を「特定の教団というより、一人のムスリム」と俯瞰して捉える彼の視点は、非常に興味深いものだった。そんな彼から紹介されたのが、ティジャーニアのマラブー(聖者)、シェイクさんである。  丁寧な連絡を送るも、四日間の未読。諦めかけていた時、「明日の 16 時半にモスクに来なさい。インシャーアッラー」というボイスメッセージが届いた。 Insha'Allah, 「神が望むなら」を意味するこの言葉は、セネガルでも日常的に使われていて、私自身も普段から使用している言葉だ。しかし、突然のことで心の準備が整わないまま、私は指定されたモスクへと向かった。 写真1.シェイクさんの教え  礼拝を済ませ、少しずつ人が少なくなった頃、ようやくシェイクさんと合流できた。すると彼はモスクの中央にマイクを置き、朗々と教えを唱え始めた。(写真 1 ) 18 時、礼拝の 1 時間前にもかかわらず人が増え始めると、中央に大きな白い布が広げられた。それを約 30 人の男たちが囲み、ついに「ズィクル(神を念じる唱名儀礼)」が始まった。ついに自分の 身体でこの空間を体験できたことに、深い感動がこみ上げる。唱えが終わる 19 時過ぎには、いつの間にか 200 人を超える人々でモスクが埋め尽くされていた。 写真2.マグリブの後のズィクル  日没後の礼拝「マグリブ」を終え、すでに 4 時間近く動いていた私の身体は悲鳴を上げていたが、シェイクさんに「ここに座れ」と促され、再び腰を下ろした。すると突如、モスクの電気が全て消された。暗闇の中で響き渡るズィクル。(写真 2 )視覚を奪われたことで、人々の声と信仰のエネルギーがより鮮明に、ダイレクトに心に響く。興奮が全身を駆け抜けた。 写真3.チェレヤップ 写真4.アタヤ  全ての儀礼が終わったのは、夜の最終礼拝「イシャー」を終えた頃だった。シェイクさんに誘われるまま、モスクの隣にある建物へ足を踏み入れると、そこには豪華な部屋とお手伝いさんの出迎えがあった。そこで振る舞われたのは「チェレヤップ(クスク...

トルコ:Edirne(エディルネ)日帰り旅行

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  Karaağaç (カラアーチ)での朝食( 2026/4/18 ) トルコへ来てから 1 か月と2週間ほどが過ぎた。平日は毎日授業で週末は調査と、なかなか観光などをする時間がないが、そんな中、 4 月 18 日に寮主宰のエディルネ( Edirne )日帰り旅行イベントが開催されていた。トルコを観光できるせっかくの機会のため参加した。 当日はバスが朝 7:30 に学校を出発予定であったため、 6 : 30 に起床した。早朝はまだ少し寒さがあるため、アウターを羽織って出かけた。バスは大学の正門から出発である。寮から大学の正門までは歩いて 10 分ほどかかるため、寮を少し早めに出発した。大学からエディルネまでは 2 時間ほどかかる。バスに乗っている間、外の景色を眺めたり、睡眠をとったりした。 10 : 30 頃、 カラアーチ( karaağaç) というエディルネの郊外にある地区にて、朝食を食べた。(写真 1 )普段食堂で食べる食事では、スープなどに豆が多く使われていたりするが、ここで食べた食事にはそもそもスープもなく豆も一切なかったため、トルコ国内の地域色のようなものを感じた。 写真2.カラアーチ駅(2026/4/18) 朝食を食べた後は、過去に欧州とトルコをつなぐ鉄道の駅として利用されていた「カラアーチ駅」を訪れた(写真②)。現在は「トラキヤ大学」の施設の一部として利用されているらしく、外からしか見ることができなかったが、外観は「少し豪華な駅」といった印象を受けた。また、ここには当時使われていたとされる汽車も置かれており、たくさんの人が汽車とともに写真を撮っていた。 写真3.医学博物館内に展示されている医療器具の展示(2026/4/18) その後は、医学博物館を訪れた。この博物館は、バヤズィット 2 世( 1447 ― 1512 年 )が 15 世紀に病院として利用していた建物が回収されたものである。博物館には、過去の診察のデータ (文書) や病に関する当時の治療方法、当時使用されていた医療器具などが展示されていた(写真③)。解説を読んで理解するのは難しかったが、医療器具の展示品や当時の現場を再現したモデルの展示は、見ているだけでも非常に面白かった。 Ramazan

ニュージーランド:マウントイーデン

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大学のプロジェクトで友達とマウントイーデンを訪れた。正直、最初は「登るの疲れるな」くらいに思ってたけど、実際に登ってみたら想像以上に楽しかった。頂上からの景色はすごくきれいで、オークランドの街が全部見える感じに感動した。特に真ん中の大きなクレーターを見たとき、火山の跡地感がすごくテンションが上がった。 途中で友達と写真を撮ったりして、登る時間もあっという間に感じた。風も気持ちよくて、ずっとそこにいたくなるような場所だと感じた。 マウントイーデンの写真 登り終わったあとに友達と食べたアイスはすごくおいしかった。歩いた後のせいか余計に美味しく感じて、いつものアイスより何倍も美味しく感じた気がする。ベンチに座ってゆっくり食べながら、その日のことを振り返った時間もすごく良かった。こういう何気ない時間が一番楽しいなと感じたし、プロジェクトに参加して良い思い出になった。また機会があったら、今度は夕方とか夜景も見に行きたいなと思った。

ニュージーランド:公園での過ごし方

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今回のブログは、オークランドにあるアルバートパークについてだ。市内中心部からアクセスも良く、気軽に自然を楽しめる場所として人気である。実際に訪れてみると、想像以上に広く様々な自然が共存していた。公園内には広い芝生や、綺麗に手入れされた花壇があり、地元の人が軽い運動をしたり、本を読んだりしてリラックスしていた。また大きな木々が多数あるため、日差しが強い日でも涼しく感じることができ、快適な環境であった。 特に印象的だったのは、公園の中心にある噴水だ。その周りには椅子が置かれており、景色を楽しんでいた。歴史的な雰囲気も感じられ、ただの公演とは違い、一種の観光地としての魅力もあると感じた。 今回の訪問を通して、オークランドは都市と自然がうまく共存している街だと改めて実感した。アルバート公園の他にも、様々な公園が存在するが、アルバート公園はその象徴とも言える場所であり、短期間でも気軽にリフレッシュできるので、ぜひまた訪れたいと思う。 アルバート公園で野球を楽しんでいる様子(2026.04.17)

ニュージーランド:公園

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私は、ほぼ毎日のようにオークランドにあるAlbert Park(アルバート・パーク)を訪れていた。Albert Parkに訪れて、最初に感じたのは、日本の公園とは在り方が大きく異なるということだった。日本では公園は主に子どもが遊ぶ場所というイメージが強いが、ここでは年齢に関係なく、多くの人が思い思いの時間を過ごしていた。芝生の上で友人同士が楽しそうに会話をしたり、のんびりと寝転がってリラックスしている人の姿が印象的だった。その自由で開放的な雰囲気に、とても魅力を感じた。 アルバート公園での様子(2026年3月9日) また、現地の人たちと実際にサッカーをして交流できたことも、強く心に残っている。言葉が完璧に通じなくても、一緒に体を動かすことで自然と打ち解けることができ、公園が人と人をつなぐ大切な場所であると実感した。このような体験を通して、Albert Parkはただの休憩場所ではなく、多くの人に愛され、交流やリラックスの場として重要な役割を果たしていると感じた。

フランス:サンドニと周辺の熱気

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  写真1.アフリカ、アラビア特有のシルエットをした洋服を扱う店 以前パリに行ったとき、昔の指導教員に「観光客が普段行かない、ディープなパリに行こう」と言われどきどきして連れて行ってもらったサンドニ。 観光マップには危険エリアに書かれている。 今回私は南仏旅行からの帰りに集団でパリに訪れた。パリについた瞬間に、私は一人でサンドニにまた行きたいという衝動に駆られた。 メトロに乗り、サンドニに近づくにつれメトロ内の空気と自身の中がリンクしたように緊張が走る。 駅に着き、出口に上がった瞬間にたばこ売りの集団。何かを大声で叫ぶ人。それらを見えないふりをして、そこを素通りする。日本では全く感じない感覚。(写真1) 写真2.「ゴシック様式誕生の地」とされる記念碑的な建築サンドニ大聖堂 サンドニ大聖堂をめがけてふらふら散策する。以前、先生にごちそうになったコートジボアール料理が見えた。そこで食べたヤッサがおいしかったなぁと記憶がフラッシュバックする。 大聖堂前のセンター街までなんとかたどり着いた。アラビア、アフリカなどの様々な国籍の衣服、飲食店が並び、無国籍な異国情緒が漂うセンター街である。 センター街を通って、大聖堂を訪問。このサンドニ大聖堂は、単なる古い教会ではなく、西洋建築史において「ゴシック様式の誕生の地」とされる記念碑的な建築である。(写真2、3) この歴史的建造物の周辺に異国情緒漂う街が形成されるのはとても興味深い。 その「歴史的建造物(聖)」と「混沌としたセンター街(俗)」が、境界線を引くことなく地続きに存在している光景こそが、サン=ドニの持つ抗いがたい引力かもしれない。 かつてフランス王家が権威の象徴として築き上げた「ゴシックの光」が、今は世界各地から集まった人々の生活の熱気と、剥き出しの生存本能に包まれている。その断絶にも似たコントラストは、美しい装飾で整えられたパリ中心部では決して味わえない、都市の「生きた構造」を突きつけてくる。 写真3.大聖堂前のカフェでエスプレッソを飲んだ 写真4.大聖堂前の広場で子供たち地面に投げつけ、パンパン鳴らした何か。気になっていたところ、ちょうど子供が箱を路上に捨てて、その箱を調べるとかんしゃく玉と呼ばれる玩具花火の一種であることが判明。 独特な緊張感や、記憶にあるヤッサの味、そして大聖堂の静謐な空気。それらが混ざり合う...