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フィリピン:観光と貧困~その4~

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これが最後のブログになるが、とても良い 2 ヶ月だった。 最初は不安ばかりだったし、正直全然行 きたくありませんでした。 しかし、行ってみると毎日とても楽しかったです。 GLC ではたくさん 友達ができ、日本人だけでなく、タイ人、台湾人、韓国人といった様々な国籍の留学生とも友達 になることができ、世界にコミュニティが広がったことがとても嬉しいです。 写真1.僕が帰る時GLCの友達が手紙をくれた (撮影日:2024年6月1日) また、 GLC の先生方 が自分たちのレベルに合わせてゆっくり話して教えてくれたり、日本人ではない留学生と話すときも英語なので自分自身でもわかるくらい英語のレベルが上がったなと感じました。 日本では味わえない風景や様々な島の観光地に出向いたりとても楽しかったし、フィリピンを選んでよかっ たなと感じています。 そして、この 2 ヶ月間で 1 番印象に残った経験はやはり、アニャズホームでのインターン経験です。自分としては考えれない場所で毎日苦しい生活をおくっている子供達と実際にふれあい、とても色々考えさせられることがありました。 この経験は日本で普通に生活していたら絶対にできなかった経験だと思うし、このインターンができるフィリピンを選んでよかったなと 考えています。 写真2.帰国して京都駅に着いた時、感動して いつでも見れる京都タワーを撮った (撮影日:2024年6月2日) 留学が終わって、関西空港から電車で京都駅まで帰っている途中、窓から大阪の景色を見ていたのですが、ありえないぐらい日本は綺麗でした。道はゴミが見当たらず、しっかり と整備されており、道端に裸で寝転んでいる人がいなかったりと日本のありがたみを人生で 1 番感じました。 R

フィリピン:観光と貧困~その3~

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この 2 週間はとても良い経験になった   2 週間でした。  写真1.Anya’s Homeの子供たちが最後のお別れの際に みんな泣いている様子(撮影日:2024年5月24日) アニャズホームの活動ではとても汚い海で清掃活動をしました。  清掃活動は主に海辺に溜まったゴミを拾うことですが、週に一回の活動では何の意味もないような状態で、普通に犬やネズミの死骸が落ちていてうじがわいている状態の場所で普通に住んでいる人々やそこで楽しそうに遊ぶ子供達など日本では考えられないものを数えきれないほど生で見て肌で感じた。 教育どうこう以前の問題でどのようにフィールドワークをしていけば良いか考えないといけないと感じた。  写真2.お別れの際(撮影日:2024年5月24日) また、別の地域では水上に家を建てて暮らしている人たちがおり、人権が得られていない人たちがいるそうなのでそのことについても考えていかないといけないと感じました。 上記の体験とは別に週末にKotaビーチというところに星を見にいった。 写真3.Kotaビーチというところに星を見に行った R

フィリピン:観光と貧困~その2~

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この 2 週間はとても成長できた 2 週間だと感じました。今まではほとんど何かしらの体調不良が続い ていましたが、この 2 週間は体調管理をしっかりできました。 勉強面では授業を欠席することなく楽し く受講できており、放課後は英単語を覚えたり、その日に習った授業の内容の復習をしたり、他国の留学生と話 したり、自分の英語力が伸びていることを実感できました。 Anya‘s Home のインターンでは相変わらず、 匂いなどはしんどいですが子供たちと良い関係を築いていけているのではないかと考えました。 活動内容はスタッフのお手伝いや別の場所にいる子供達にフードデリバリーをしたり、子供たちと遊んだり、英語のスペルや算数を教えたりしています。大変な状況で生活しているのに笑顔で接してくれる現地の人々を見て色々なことを考えさせられました。 写真1.Anya's Homeで特に私に懐いてくれている子。 6歳なのに、とても勉強熱心で元気なAnya’s Kids。(スタッフ許可にて撮影) フィリピンのほとんどの人がキリスト教徒ですが、神様なんていないんだなと考えました。しかし、貧困に困っている人などを見ると神様がいた方が都合がいいんだろうなと考えました。 だいぶ日本料理が恋しいですが、とても楽しく生活できています。 R

フィリピン:観光と貧困~その1~

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  初めて数ヶ月海外で生活するということで最初は正直不安だらけでとても心配でした。 GLC についた 時は湿度が高い、虫がいっぱい、クーラー全然きかない、シャワー死ぬほど弱いなど最悪なことばかりでした。 しかし一夜寝ると意外に慣れました。三日目にはたくさんの良い友達ができました。その 友達たちがいなかったら、とっくに帰りたくなっていたと思います。 GLC での生活はとても楽しく充実 しており、まだホームシックになっていないのが自分でもびっくりしています。 2周目では GLC でできた 11 人の友達と一泊二日でボホール島行きました。ボホール島ではチョコレートヒルズ、ケイブ、 アラナビーチに行き、ターシャという小さい動物も見ることができました。ボホール島で泊まったゲストハウスでBBQできるスペースがあったので、スーパーで買い出しをしてBBQをしました。 写真1.ボホール島でのBBQ 現地の人はとても親切でノリも良く、今まで日本人以外は正直いってあまり好きではありませんでした。しかし、その様な狭い考 えを塗り替えるくらい現地の人と関わり、好きになりました。 初めて行った   Anya's Home がある地域は  20 年間の人生で一番臭く、活動中にいっかい寮に戻しました。その地域で普通に生活して いて笑顔でいる子供達を見て「なんてたくましいのか」、そして「どうしてここまでの格差が生まれるのか」を考えました。 これからも現地の問題にふれ、考えを深めていきたいと思いました。 R

日本:: 中国改革開放における日本人の役割

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  春休み中国国内で中国経済の中心など調査を行った。 特に都会と農村の格差である。 日本でなかなかかじられないが、日本の田舎でもバイクで二十分だけで繫華街に行けるが、中国の田舎出身の子の中では、大学に入学するまでに都会に行ったことない人もいる。 そして、日本の田舎でもちゃんとインフラが整備されているが、中国の田舎は整備されていないところもある。  写真1)重慶市居住区の夜景(2023、2,6筆者撮影)   重慶市の物価想像以上は安かった。 僕の実家の田舎の2,3倍ぐらいと思ったが実際に物価の差はそんなに激しくはなかった。「観光地以外」では、一部のものが僕の実家よりも安かった。 高層ビルがバンバンで林立するのは印象的だった。  写真2)実家の様子、草原ではない、小麦の畑(2023,2,25筆者撮影)   私の実家の畑の小麦の様子である。 最近中国の農作物もロシアとウクライナ戦争の影響で値上がりされたが、でも、その値上がりがなくても戦争はして欲しくないと母さんは言っていた。   写真3)郑州市中心にある外で寝ている農村からの出稼ぎ者、隣はホテル。  (2023,3,15筆者撮影)   朝四時の河南省郑州市中心の農村からの出稼ぎ者、僕はそこで通りで声をかけられた。 正直少し怖かった。 ホームレスと思ったが少し話し合って、ただの外で寝ている人だけだったのである。 さすがに名目の社会主義、中身は資本主義だなと思う。 キュウキュウ