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アメリカ:サンタモニカ

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拠点を LA に移し、週末にサンタモニカに行った。自分はサンタモニカがモデルとなったゲームを昔していたため実際に見た時全てが同じ風景でとても驚いた。ルート 66 の最終地点であり、あちこちにルート 66 の看板がありショップにはたくさんのキーホルダーや T シャツなどのグッツが売っていた。 写真1. パシフィックパーク① サンタモニカのビーチ周辺にあるパリセーズパークからは太平洋が一望でき、 6 月にもかかわらずとても多くの人々が海に入っている。海は意外にも暖かく、個人的に綺麗ではなかったが汚くもなかった。 写真2.  サンタモニカビーチ、パリセーズビーチ① 写真3. サンタモニカビーチ、パリセーズビーチ② サンタモニカピアにはパシフィックパーク遊園地があり入場料は無料で観覧車やジェットコースターをはじめとするアトラクションや射的ゲームができるアーケードもある。昼はサードストリート・プロムナードでショッピングをするのが定番で、アメリカの人気アパレルブランドやコスメショップが集まっているため買い物を楽しむことができる。夜には遊園地一体がライトアップされるため、昼間とは違った雰囲気を楽しむことができる。 写真4.  パシフィックパーク②

ニュージーランド: ホームスティ

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ニュージーランドでは、ホームステイを体験することができる。ホームステイは、楽しいというイメージだけが強いかもしれないが、楽しいものだけではない。 今回の私のブログでは、ホームステイの暮らしについて取り上げる。 私のホストファミリーは、ホストマザーとホストファザーとホストシスター(11歳)、ホストブラザー(9歳)、ルームメイトのタイ人の女の子二人だった。あと犬一匹いた。 家族は基本的にとてもやさしいし、何か特に問題はなかった。 晩御飯はいつも家族一緒に食べるというのが決まりで毎日一緒に食べ、会話の時間が楽しく、ホストシスターやホストブラザーと今日何して過ごしたかの会話もしたりしていた。また、私の家の晩御飯は、ザ、海外みたいなご飯で私はいつもたくさん食べ、おかわりもしていた。調子に乗り、たくさん食べると確実に太るので、注意が必要となる。 写真1. ホームスティの晩ごはん① 写真2. ホームスティの晩ごはん② 洗濯はいつでもしてよいというルールだったが、ホストマザーがやってくれるのではなく、自分でやるというものだった。私の家には乾燥機があったしとても楽だったので、何も問題はなかった。シャワーは10分までというルールだったが少し伸びても何も言われることはないので、そこまで気にしなくてよかった。洗濯やシャワーのルールは、家庭によって異なる。私の家庭は、ある程度緩い方だ。 また、私の家は洗面所、シャワー、トイレがホストマザーたちとは別で、ルームメイトとは共有だったが、かなり気が楽だった。このような家は、多いイメージがある。 私は、ホストファミリーと休日どこかに行くなどはなかったけれど、一緒に出掛ける家庭もある。一緒に出掛けることはなくともとても仲良く過ごしやすい家庭だった。 また、私は犬が大好きだ。毎日ホストファミリーの犬と遊び、とても私になついていた。犬がいることで本当に気持ちが楽になったし、動物は、英語じゃなくても意思疎通ができているようなきがしてうれしかった場面もあった。ホームステイ先は、必ず犬や猫を飼っているところにすべきである。 写真3.  ホームステイ先の犬♡ ここから私の家での注意すべきことについて取り上げる。 それは、朝と夜は静かにしなくてはならないということだ。私はホストファミリーの中で一番早く起きていたため階段は静かに降りるように注意 したり、夜には22時ま

ニュージーランド:ニュージーランド生活で気をつけること

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今回は私のニュージーランド生活の中で、気をつけておくべきことを3つ紹介します。 一つ目は、知らない人やホームレスの人には近づかないことです。日本に比べて知らない人から声をかけられることが多いと思います。見るからに、奇声をあげている人、目の焦点が合わないような人に、声をかけられた場合、すぐにその場を離れましょう。また、シティへ行くと道にホームレスの人がいます。声をかけられても無視しましょう。 二つ目は、バスについてです。バスは電車のように快速バスが何個かあります。間違えて快速バスに乗ったり、目的地で降り忘れたりすると、全く知らない場所へと飛ばされます。ニュージーランドの治安がよくても、場所によっては日が沈むと街灯が少なく真っ暗で危ないので、気を付けましょう。また、バスによっては、降車ボタンを押しても全く止まってくれない時があります。その時は、運転手の隣まで行き、直接、降りることを伝えましょう。 写真1. 快速バスに乗って知らない場所に行った時の写真 写真2. 夜のバスのなか 最後は、健康面についてです。慣れない生活で、体調を崩すことがあると思います。私の場合は、帰国する2週間前から歯の痛みがありました。歯に関しては、親知らずなどの場合は保険適用になるかもしれないけれど、それ以外の場合は何らかの事故でない限り、全く適用されません。よって、治療を受けるとなると、高額になるうえに、必ずしも日本語とは限りません。そのため、私は2週間、痛み止めの薬を飲みながら過ごしました。せっかくの海外生活で辛い思いはしたくないと思うので、歯の治療は日本にいる間になるべく早く治療したほうがいいと思います。また、薬は多めに持っていくことをおすすめします。自分が何もなくても友達が薬を必要としたとき、渡すことができるので、持っていくといいと思います。 以上が私の体験から気をつけるべきこと3つでした。この体験をしたときは、とても怖かったですが、怖い体験をするたびに、語学力向上のためのモチベーションになったのである意味よかったのかなと思います。

ニュージーランド:授業外での過ごし方

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今回紹介するのはニュージーランドの授業外での過ごし方です。 基本授業が終わった後は友達と昼ご飯を食べに出かけて、食べ終わってから学校に戻り学生ラウンジで過ごしていました。 学生ラウンジには卓球台やトランプ、自販機、コーヒーメーカーがあり、一番お金のかからない楽しい時間を過ごせる場所だと僕は思います。 学生ラウンジはたくさんの人が利用しているのでたくさんの人と会話がすることができ、友達もできやすいです。 写真1. ELAの学生ラウンジでの卓球 写真2. ELAの学生ラウンジでのゲーム 他で僕がおすすめするスポットは Game on というゲームセンターと Big World internet Café という日本でいうゲーミングカフェです。 ニュージーランドでゲームが大好き人と仲良くなってインターネットカフェには何回も行きました。 写真3. Game on (ゲームセンター) League of Legends というゲームがすごく人気で友達とよくやっていたのですが英語で喋りながらゲームをするのがとても新鮮で楽しかったです。 写真4. インターネットカフェの様子 Game on では日本とは違ったシステムがニュージーランドのゲームセンターにあり、ゲームでポイント獲得したらそのポイントで買い物ができるといったシステムがありました。 僕はポイントでお菓子を買いまくり、家で過ごすときに勉強の合間に食べていました。 ただこういった施設に行くとお金がかかりすぎてどんどんお金が減っていきます。 だから僕は施設に行く頻度は少なくして学生ラウンジで過ごすようにしていました。 そのおかけで卓球が凄くうまくなりました。 なおやん

ニュージーランド:ニュージーランドで得たこと

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ニュージーランドで過ごして、得たことの一つは語学です。 語学学校に通わなければいけないので、必ず英語を勉強するし、ホームステイで3か月弱過ごしていたので、家でも英語を使う機会があって、自分でもわかるくらい語学は成長できたのかなと思います。 写真1. 木曜日の放課後にあるスクールトリップで行ったミッションベイ 特にスキルが上がったところはライティングです。今まで苦手意識があってやってこなかった部分でしたが、コツをつかんだら書けるようになって楽しくライティングできるようになっていました。私がもっと頑張りたいと思ったところは、スピーキングで抵抗なく話せるようにはなってもうまく伝わらない時もあったので、もっとスピーキングのスキルを上げられたらいいなと思っています。 写真2. ELAでできた日本の友達 もう一つ、語学学校にはいろいろな国からきている人がいるので、色々な国の友達ができます。私はニュージーランドに来て友達と話す時間がとても楽しく思い出に残っています。いろんな国の人と話せて、自分の英語も使えて、思い出も作れてとても楽しかったです。 写真3. ELAでできた中国の友達 日本に帰ってからも連絡を取っている友達もいるし、これからも仲いい関係を続けてまた会えたらいいなと思います。異文化から得られる文化の違いもあり、とても充実した期間でした! 写真4.  虹色に光るスカイタワー   写真5.  ニュージーランドの星は家から見てもとってもきれい そぶたろう♪

アメリカ:いまから使える簡単なワード! ①オンライン編

 実際アメリカに来てEnglish speakerとのコミュニケーションを通して学んだ を今回と次回にわたって紹介していきたいと思います! 今回はDMやLINEなどオンラインコミュニケーションツールでのチャットで使われる、なにかひとつの文章が省略された表現(スラング的なもの)をご紹介します😊 いまから紹介する表現がはじめて送られてきた時は意味の検討がつかないようなものもありましたが、いちいち文章を打つより楽なのですぐ愛用していました。 1. Tysm 「Thank you so much」の略。これは一番わかりやすいかもしれませんね。14のアルファベットがたった4文字だけ打てばいいだけになるので打つのが楽です。 2. Ikr 「I know right」の略。何か自分が身につけているものや、相手に見せたものを褒められたときなどに使います。日本語でいう「でしょ??」みたいな返答をしたい時にぴったりです ~相手に飼い猫を見せた時~ 相手「She is so adorable!!!」→「この子めっちゃ可愛い!!!」 自分「Ikr!」→「でしょ!」 3. tbh 「To be honest」の略。「正直にいうと」や「ぶっちゃけると」という意味で、 「tbh, I don’t like him. 」 →正直言うとあの人好きじゃない 4. btw 「By the way」の略。「ところで」や「話は変わるけど」といったことを言いたいことに使える。文頭、文末にどちらに置いても使えそうな感じでした。 ①~何かについて話している~ 「btw r u free on Sunday?」 →ところで日曜日暇? ②~何かについて話している~ 「I met your ex btw」→そういえば今日あなたの元カノに会ったよ 5. wya?  「Where you at?」の略。一番よく使ったシチュエーションは学内やイベント会場にいるであろう友人を探す時でした。学内にいるのはわかっているけど具体的な居場所がわからないときに「どこにいるの?」と聞く時ですね。 他にもいくつかあるのですがFワードが入っちゃっていたりするので今回はやめておきます。ぜひネイティブの友達ができた際はチャット上のコミュニケーションで新しいスラングを吸収してみてください😊 次回のブログは対話の中で学んだ新たな英語の表現です!

アメリカ:9.11同時多発テロ当時の状況についての学び

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NYに行ったら必ず行こうと決めていた9.11の実際に事件が起きた現場に行き、当時の出来事を学ぶことができるメモリアルミュージアムに行ってきた。9.11とは4機の米国国内線民間航空機がほぼ同時にハイジャックされ、そのうちの2機がNYのビルに突っ込んだ事件である。 写真1. 記念碑 ビルの跡地にには記念碑の噴水があり被災者の名前が刻まれている。刻まれている名前には数人の日本人 の名前もあった。 メモリアルミュージアムには当時崩れ落ちたビルの残骸や、粉々になった飛行機の一部など数多く展示されて いた。他にテロの実際の映像や飛行機内の無線などを聞くことができた。 写真2. 当時の最終階段 写真3. 落石を受けた消防車 メモリアルミュージアムにいったこと で多くの学びを得ることができた。 事件から20年がたった今、NYでは平和が訪れている。だがテロがなくなることはない。 実際の事件現場にいき、命の尊さ、大切さを改めて実感したと同時に、残酷な同時多発テロについて自分自 身も向き合い、もっと学んでいきたいと実感した。 写真4. メモリアルミュージアム

アメリカ:San Jose 観光

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スタンフォード大学はアメリカ合衆国カリフォルニア州のパロアルトに位置する有名な大学です。ス タンフォード大学のキャンパスは広大で美しい敷地に広がっています。 写真1. スタンフォード大学(2023/5/28) キャンパス内を散策し、建物 や庭園を鑑賞することができます。特に、メインクアッドやホワイト・プラザ、マエゼル・プラザな どは人気のある観光スポットです。キャンパス内にあるフーバータワーは、スタンフォード大学のシ ンボル的存在であり、キャンパス内からも遠くからも見ることができます。タワーの上からは、スタ ンフォード大学の美しい景色を一望することができます。スタンフォード大学の近くにはスタン フォードショッピングセンターがあります。ショッピングやレストラン、映画館などのエンターテイ メント施設が充実しています。 スタンフォード大学は教育機関としてだけでなく、美しいキャンパスや文化的な施設など、観光地 としても価値がある場所です。訪れる際はキャンパスツアーやイベント情報を事前に確認することを おすすめします。

アメリカ:野球観戦

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私の滞在するデービスという地域から電車で2時間ほど行ったところのオークランドという地域はオークランドアスレチックスという野球チームとそのチームのホームとなる球場があります。私は野球観戦が好きなので日本でも野球観戦に行くのですが、アメリカで野球観戦に行って気づいた日本との違いを紹介します。 写真1. オークランドコロシアム(撮影日:2023/5/27) 私が感じた大きな違いは応援です。日本ではそれぞれのチームに選手一人一人の応援歌があるため攻撃の際に応援歌を歌いながらチームの攻撃を盛り上げます。しかしアメリカの野球ではそういった文化がありません。歌がないことに少し寂しさも感じましたが、日本とは違いそれぞれの応援の仕方をしているように感じました。それぞれが好きなように反応し、応援の気持ちを表現しているように見えてそれはそれで楽しく感じました。また 7 回表が終了すると観客が立ち上がり“ take me out to the ball game” という曲をみんなで歌います。日本でも 7 回には各球団の応援歌を歌うのでそこは共通していると思いました。 もう一つの違いは球場内を歩いて食べ物を売るスタッフの違いです。日本ではビールのタンクを背負って球場を回る可愛らしい女性の売り子さんのイメージが強くありますが、オークランドコロシアムでは女性の売り子さんは一人も見ませんでした。むしろ体格の良い男性が多い印象を受けました。たくさんのドリンクやコーンドックなどを持って広い球場を歩くには男性の方が適しているようにも感じました。また試合が始まる前にフードコーナーで注文をしている際、試合前に流れる国家が流れ、店員さんがみんな作業の手を止めているのを見て少し驚きました。日本との文化の大きな違いが多くあり面白かったです。  

日本:日本のマナーに内在する音

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京都の町にある人工的な音のフィールドワークを始めてから、約2ヶ月が経ち、以前は何となく歩いていただけの京都の街も意識して歩くことによって見方がだいぶ変わるものなのだと思った。 まず、人工的な音の考え方からだが、京都の街をフィールドワークし始める前は、人が事前に設定した電子音のみという考え方であったのが、フィールドワークを始めてからはおおよそ自然にはないいであろうもの、例えば工事の際の騒音や道路を走る車の排気音など人間がいなければ存在しなかった音も人工音に含まれるのではと考えるようになり、京都の街なみから自然を考えるきっかけとなった。 写真1:京都の地下鉄のホーム 今回のサブタイトルにある私の現在のフィールドワークのキーワード、「マナー」は法律の制限ではなく、社会による制限である。電車の中で携帯電話を用いて大声で会話をすることは法的に禁止されているわけではない。また、日本においては電車の優先座席付近で携帯電話を用いて通話をすることは違法ではない。しかし、 JR 西日本などでは電車内で電源を切るように求めるアナウンスがある。 社会が世界を作っているのは、性や人種なども同じである。私はまず自分の知っている、あるいは、知らない京都の街からアプローチしていきたい。

フィリピン:学校の感想

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思った以上に自分の英語が通じない。それが最初に思ったことだった。しかもフィリピンだけでなくタイ、サウジアラビアなど国が違うことで発音も違う。その人とたくさん話して慣れることが 1 番大切だとそこで気付かされた。リスニングが案の定絶望感的でもっと会話して頑張ろうと思った。 写真1:記念に撮った学校のシンボル的なもの。 夜のライトアップがキレイでこれにした。 学食はとてもオイリーで自分の体に合わず、食べ過ぎはやめておこうと思った。なぜか合計 1 週間分くらい腹痛、喉痛、風邪で授業を休んだ。こまめな水分補給が大事だとしっかりこれを覚えておくこと。 写真2:学食がオイリーで思った以上にギトギトしていた。 インパクトが凄かったのでこの写真。   先生はみんな優しくて分かりやすく教えてくれる。会話すればするほど英語の力は伸びると考えた。国自体 ( フィリピン ) は空気が悪く、正直臭い。慣れたから良いけど良い環境ではない。逆に日本は恵まれた国なんだと改めてそれを感じることで気づくことができた。これからもっともっと無理せず程よく勉強を頑張ろうと思った。 ひろと

フィリピン:いつか世界のどこかで会えたら会おう

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 私が 2 か月学んだ語学学校( GLC )では多くの学生が様々な国から学びに来ます。学生たちは主に日本、台湾、タイ、韓国、ロシア、サウジアラビア、ソマリア等多くのくに国からやってきます。 私たちは頻繁に晩になると飲みに出かけたり、週末には海や滝、別の島にアイランドホッピングやスノーケリング、ゴーカート、ショッピングモールや観光地、レストランと、物価が日本より安いことに助けられながら多くのことを忙しいぐらい楽しみました。会話は日本人以外とは英語で話しており遊びまくった事が功を奏して英語を使う環境にずっといることができた。 写真1:セブ・サントニーニョ教会での写真 (※自分以外の顔にモザイク加工をしてあります。) 写真2:学校近くのBarでの写真 (※自分以外の顔にモザイク加工をしてあります。) 写真3:学校近くのBarでの写真 (※自分以外の顔にモザイク加工をしてあります。) 英語を勉強していた学校、GLC では毎週新しい生徒が来、毎週末誰かが卒業していく。頻繁に知り合い、友達、仲良くなった人がいなくなるのは少し寂しさを感じた。 2か月後ついに自分も卒業する時が来てしまった。 Cebu ではとても楽しかったから帰りたくない気持ちもあったけど、来る前より明らかに英語力が伸びたので将来が前より楽しみになっていた。 そんなこんなで帰る時間になると門には見送りに何人もの人が来てくれた。楽しかったなと思いながらみんなに see you, thank you, see you in the near future, see you someday とお互いに言って別れた。 写真4:出発前最後に見送ってもらった時の写真 (※自分以外の顔にモザイク加工をしてあります。) でも、私はわかっていたこともある。また会おうと言ったもののこの中の半分以上の人とは一生会わない可能性の方が高いことを。この事実はとても残念ではあるが、多くの多国籍の友達がいると仕方がないのかもしれない。しかし、考え方を変えると世界中に友達がいるという事になる。また、何かの縁で会えたらいいなと思い「 いつか世界のどこかで会えたら会おう」というタイトルを付けた。 テオ

タイ:MAYAの映画館

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  4 月 6 日にマリオの映画、 5 月 3 日に GotG3 を見に行った。両方とも製作は日本ではなくアメリカで僕の研究からは少し外れるが、ポップカルチャーの研究と考えれば良いフィールドワークになると思ったのでチェンマイ大学から 1 時間おきに出ているシャトルバスで行くことができるショッピングモール、 MAYA に向かった。 写真1:チケット。日本と違って硬い紙 写真2:電子ポスター 作品は両作とも万人に受ける内容で楽しむことができたのだが、僕が気になっていたのはオーディエンスの様子だ。両日とも休日の昼過ぎぐらいの時間帯だったのだが、客数は少なかった。後から大学の先生に聞いたところ、夕方以降に人が増えるらしいのでそこは改めてリサーチしてもよさそうだ。事前に調べた通り映画の広告や予告と一緒に王への賛歌の映像が流れたのだが、半分以上の観客が起立していなかった。 写真3:特別ポップコーンセット399パーツ(日本円で約1200円) 写真4:セットに付属していたターロードのフィギュア Peter

タイ:ソンクラーン(水かけ祭り)への参加

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  สวัสดีค่ะ サワディーカー、 Citron です。 今回は先日体験したソンクラーン ( 水かけ祭り ) について紹介したいと思います。 タイにはソンクラーン ( 通称「水かけ祭り」 ) という新年を祝う伝統的な正月行事があって旧正月にあたる 4 月 13 日~ 15 日に行われている世界的に有名な行事です。参加した後に調べてみたのですが「ソンクラーン」とはサンスクリット語で「移る」という意味があり太陽の軌道が白羊宮 (Aries) へ移動することを指し、これは 12 か月の周期が終結して太陽暦による新年が始まることを意味することが分かりました。また水をかけるという行為には「敬意を払う」という意味があり、仏像や年長者などにも水をかけるようです。水かけ以外にもお寺で様々な儀式を行うなどするようで、ソンクラーンにはこれまでに積んできた功徳を先祖に捧げること、年長者が年少者に幸福を祈ることという 2 つの意義も持ち合わせているみたいです。[参照元  外務省: 日タイ修好120 周年 タイのお祭り「ソンクラーン祭り」 (mofa.go.jp) ] 私もそんな面白そうなお祭りに参加したいと思って真ん中の日である 14 日にチェンマイの市内にある MAYA というデパートとその周辺に出向きました。向かっている途中のいたるところに水を汲んであるバケツなどが置いてあり、人々はそこから水鉄砲などを使って近くにいる人に水をかけまくるのです。 写真1:町中にある水かけ用のバケツ (撮影日:2023年4月14日) 市内の中央の方に行くほど人の数が増え、通行人だけでなく周りのお店の人からも水鉄砲やバケツで水をかけられます。時にはホースで直接水を浴びせられたり車道を走っている車の中から水をかけられたりすることもあります! 私が MAYA についたときにはもうすでに全身びしょびしょになっていました(笑 )。 写真2:ソンクラーン中の人々の様子 (撮影日:2023年4月14日) MAYA のあたりではより一段と盛り上がっていて、音楽フェスのようなものがやっていたり出店がたくさん出ていたりしました。そのほかにも水かけ合い専用の ( ? ) 広場みたいな場所もありものすごく楽しむことができ、老若男女関係なく水をかけあうので誰とでも仲良くなれる機会でもありました。 ぼーっとしていた

日本 : 中国改革開放における日本人の役割

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  最近、大学の図書館で中国の経済発展と当時日本の対中援助について勉強している。  経済発展を理解するには経済発展の前に中国を知る必要があると思い、当時の中国の文化大革命について調べてみた。  当時の中国は個人崇拝が中国人の生活に浸透しているのが分かった。 今から見ると、人間は人間で、神ではないが、当時の中国人は人間を神に扱われている。  正直あの時代の中国人は何を考えているのか、納得できなくて、ちなみにこの数十年だけで中国人の思想開放にも驚くべきだと思う。   写真)文化大革命時代中国の個人崇拝(2023,6,5) キュウキュウ

日本:: 中国改革開放における日本人の役割

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  春休み中国国内で中国経済の中心など調査を行った。 特に都会と農村の格差である。 日本でなかなかかじられないが、日本の田舎でもバイクで二十分だけで繫華街に行けるが、中国の田舎出身の子の中では、大学に入学するまでに都会に行ったことない人もいる。 そして、日本の田舎でもちゃんとインフラが整備されているが、中国の田舎は整備されていないところもある。  写真1)重慶市居住区の夜景(2023、2,6筆者撮影)   重慶市の物価想像以上は安かった。 僕の実家の田舎の2,3倍ぐらいと思ったが実際に物価の差はそんなに激しくはなかった。「観光地以外」では、一部のものが僕の実家よりも安かった。 高層ビルがバンバンで林立するのは印象的だった。  写真2)実家の様子、草原ではない、小麦の畑(2023,2,25筆者撮影)   私の実家の畑の小麦の様子である。 最近中国の農作物もロシアとウクライナ戦争の影響で値上がりされたが、でも、その値上がりがなくても戦争はして欲しくないと母さんは言っていた。   写真3)郑州市中心にある外で寝ている農村からの出稼ぎ者、隣はホテル。  (2023,3,15筆者撮影)   朝四時の河南省郑州市中心の農村からの出稼ぎ者、僕はそこで通りで声をかけられた。 正直少し怖かった。 ホームレスと思ったが少し話し合って、ただの外で寝ている人だけだったのである。 さすがに名目の社会主義、中身は資本主義だなと思う。 キュウキュウ