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セネガル:バイファルの村での暮らし

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写真1. Nguisguis Bamba の案内と滞在期間中世話を焼いてくれた Mamoune さん 日本にいるときから一番訪れたいと思っていた場所である Mbacke kadior とその近くにある Nguisguis Bamba という村にやっと行くことができた(写真1)。 首都ダカールから車で約3時間の場所にあり砂漠化が深刻な問題になっている土地である(写真2)。 写真2.Nguisguis Bambaの敷地外に広がる荒野、羊や牛がみられ地面には大量の糞が落ちていた。 この村にはイスラームの宗派の一つムリッド教団に属するバイファルという集団が生活をしている。バイファルはマラブーと呼ばれる指導者に仕え雑務をこなし、「働く代わりに祈りや断食をしない」というイスラームの中でも異端な特徴を持つ。 写真3.お手伝いで水をあげた植物、1週間に1度水をやる 私は Nguisguis Bamba に5日間滞在しお手伝いをしながら生活した。日中は植えられている草木に水をやる、村の敷地内に落ちている枝や石を取り除き安全な状態を保つ、飼育している動物たちに餌をあげたり住処を掃除したりするといった作業の手伝いをさせてもらった(写真3)。 写真4.村の中の掃除をした際に枝や藁を荷台に乗せて運ぶロバ御者は子供たちがしていた 今回セネガルに来た目的が砂漠化とは何か、砂漠化が進む土地に住む人達はどのような生活を送っているのかというテーマの調査を行うことであった。この調査を進めるため、住人の方と仲良くなり村の歴史や建物の特徴を教えていただいた。 写真5. 飼育されているサル、少し威嚇してくるがロープでつながれているため不用意に近づかなければ問題ない。 5日間の滞在の中で学ぶことは多く、村の敷地外の荒野に行くと野生の羊や牛が悠々自適に生きている近づくことはできなかったが雄大な自然を感じることができた。 匿名希望

セネガル:3ヶ月のセネガル

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写真1.セネガルの大学 セネガルでの 3 ヶ月に及ぶ長期フィールドワークが幕を閉じました。 最初の 2 ヶ月間はダカールの大学(写真 1 )でフランス語の授業を受け、最後の 1 ヶ月で本格的な調査を行うというスケジュールでした。当初は言葉が思うように通じず、限られた時間の中で深い調査ができるだろうかという焦りや不安を抱えながらのスタートでした。 写真2.日常的に足を運んだモスク。アパートから徒歩1分。 語学の壁にぶつかりながらも、ただ大学とアパートを往復するだけにはしたくない。そう考えた私は、授業が終わると、自ら現地のモスクへと足を運びました(写真 2 )。言葉が完璧に話せなくても、同じ空間を共有し、挨拶を交わし、彼らの日常に寄り添うこと。その泥臭い積み重ねのなかで、現地の人々も徐々に私の顔を覚え、一人の人間として受け入れてくれるようになりました。 写真3.ティジャーニアのモスクのズィクル あの厳かな「ズィクル」(写真 3 )の空間に招き入れてもらい、コミュニティの奥深くを五感で体験できたのも、この放課後のモスク通いで築いた緩やかな繋がりがあったからこそだと確信しています。こうして現地との接点を作った上で、私はラスト 1 ヶ月の本格的な調査へと踏み出しました。 しかし、いざ作成した質問項目を手に本格的なインタビューを始めてみると、フィールドワークの本当の難しさに直面することになりました。モスクの人たちは私を温かく迎え入れてはくれるものの、いざ踏み込んだ質問をしようとすると、言葉の壁や関係性の浅さもあり、相手の表面的な回答の奥にある「本当に深い話」まで聞き出すことができなかったのです。 この「思うように深い話が聞けなかった」という苦い経験は、私にとって大きな壁でした。しかし同時に、相手の人生や本音に触れるためには、単に質問を重ねるだけでなく、もっと長い時間をかけてお互いの信頼を積み重ねる必要があるという、現地の厳しい現実を肌で知る最大の学びでもありました。 正直に言えば、当初思い描いていたような「完璧で綺麗な調査結果」は得られなかったかもしれません。しかし、言葉が通じないなかで放課後のモスクへ通い詰め、悩みながらも泥臭く現地の人々と向き合ったプロセスには、自分なりの実感が詰まっています。 この「壁にぶつかった経験」と「聞き出せなかった悔しさ」から目...

セネガル:セネガルの家庭

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写真1 私が一番時間を過ごしたSさん宅から2分の海岸   約 3 ヶ月間の長期フィールドワークが終わり、トルコ経由で日本に無事に着きました。 私の中では言語面も調査面でも順調にことが進む事ができたように感じています。フランス語は挨拶と多少の会話ができる様になり、ウォロフ語は挨拶とちょっとした単語で大雑把に思ったことが伝えられる様になりました。調査面では、帰国日の 2 週間前にサンバさん(指導教員の友人)から S さんを紹介していただきました。 写真2 家に到着したのが18時ころで急遽にも関わらず用意してくれた食事 S さんは、ンブールという首都ダカールから車で約 2 時間の距離にある都市の中にある漁師町でピログ(写真1)に乗って漁をしていた経験があり、彼の知人の多くは現在でも漁師を続けており、私の調査に打ってつけの人物です。そして、サンバさんを通して交渉し、 S さんのお宅に 2 泊させていただくことになりました。夕方に到着(写真2)して挨拶をした後、漁師町を散策すること、ダカールで感じる騒音や賑やかさが全くなく、時間がゆっくりと流れる様な感覚で、 50 メートル内に海から気持ちのいい海風が吹き込み、海岸には 100 を超えるピログが横たわり、ビーチにはサッカーをする子供で溢れていました。 S さんには 2 人の奥さんと 9 人の子供がいました。 S さんは、家庭内は基本的にウォロフ語で会話を行い、私と話すときだけフランス語を使用してくれました。少しでも時間が空くと散歩やコーヒーの誘いをいただき、わからないウォロフ語をわかりやすいフランス語やジェスチャーで丁寧に教えてくれました。特に S さんの奥さんは一番気にかけてくださり、日本での生活や今まで訪れた国の話で盛り上がって私の拙い語学力と長い話でも親身に会話を弾ませ、心地の良いホームステイの体験でした。 S さんとその家族が私にしてくれたホスピタリティを、今度は私が日本や他の国で誰かの思い出にできるようにしたいと考えた 3 日間でした。 カラ

セネガル:初めての調査

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  写真:実際に説明を受けた伝統的木造船「ピログ」 セネガルで生活をして 2 ヶ月が経ちました。生活は安定して語学面も順調に進むことができていますが、語学学校は 5 月 9 日で最後になるので最低限の基礎を固めて残りの約 1 ヶ月でアウトプットを中心に伸ばしたいと思っています。 私の調査テーマは、セネガルの漁で使われている伝統的木造船「ピログ」(写真1)です。 短期フィールドワークの際に立ち寄った工房で淡々と作業している姿に魅力を感じて今回の調査テーマにしようと決断しました。 ピログには多種多様な船体があり、観光用で使われる長さ 20m ある大型な船もあれば、漁で 3 人ほどの船員が乗れる小さなものもあります。そして大きな特徴として、すべてのピログに色鮮やかな塗装がされていて、職人の手で細かく描かれており、同じデザインのピログはないと仰っていました。 今回の調査は、ブログ 1 で紹介した友人がとても親切に手助けしてくれています。 4 月 25 日、私はその友人に相談してスンベジュン( soumbedioune )と呼ばれるマーケットのピログを制作する工房に訪れました。 スンベジュンでは、私と友人で 1 つずつメモ帳を持ち、私が聞き取れる単語を日本語でメモをとり、友人にフランス語でメモを取ってもらいました。説明が終わった後に英語と翻訳を駆使して詳しい説明をしていただきました。建造工程やウォロフ語で呼ばれる部位の名前。特に聞いていて面白かったのは塗装の説明でした。塗装には大きく分けて3グループの役割があり、デザインを持ち主の要望に合わせる製図家、ベースをむらなく均等に塗るペインター、そして製図されたデザインをピログに模写をする3グループに分かれていました。その中でも今は製図する過程でデジタルに移行していることに強い衝撃を受けました。 工房での聞き取りを通して、ピログの構造や制作工程だけでなく、現地で使われているウォロフ語での言葉や呼び名の違いにも触れることができました。 また、ピログの船体の材料となる木材については、同じものでもフランス語やウォロフ語で複数の呼び方があるため、説明を単純に翻訳するだけでは特定が難しいと感じています。 今後も足を運んで残りの 1 ヶ月を無駄にしない様に頑張っていこうと思います。 カラ

セネガル:セネガルの観光地

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  写真1.石垣と植物に囲まれたンゴールの路地 写真2.赤とピンクの花が美しい セネガルに来てはじめての観光旅行に行った。行先は、友人が以前訪れた土地の中でお勧めの観光地であるンゴール( NGOR )である。ンゴールはダカールの北西にある 海に面した地区で、砂浜では多くの子供たちが遊んでいる。 セネガル本土の海岸には観光客多くサングラスや水着、浮き輪などの観光客向けの商品の陳列が多かったが、 砂浜から出ているピローグで約5分の距離にあるンゴール島 ( Ile de Ngor ) は、非常に 小さな島で、 海岸には本土の海岸より、さらに多くの観光客であふれている。そして、砂浜にパラソルとビーチチェアが多く設置され観光客で溢れレストランが密集していることである。しかし、砂浜から少し中に入ると住宅地に入ると、 車やバイクはなく、とても静かな島だ(写真1)。 石垣が続きその向こう側から木や花が伸び南国を感じられる道(写真2)を歩いていると壁や看板、椅子に施された様々なアート作品が見つかり歩くだけで面白い。石垣から伸びるきれいな植物と青い空、そして海が視界に入ると別世界に来たように思える。 この島では、シュノーケリングやサーフィンなどのマリンスポーツ、砂浜や人の少ない島の裏側でくつろぐことができる。 写真3.アンコウの串焼き 砂浜での食事は「アンコウの串焼き( Brochettes de lottes )」(写真3)という、アンコウと野菜の串焼きと玉ねぎとレモンマスタードをベースにした「ヤッサ( Yassa )」と白米を頂いた。アンコウを食べたのは初めてだったが、あっさりとした魚の旨味と程よい酸味のソースがあまりにもバランスのいい料理だった。潮騒を聞きながら島を歩き潮風に吹かれながらの食事のひと時は、ダカールから手軽に訪れることのできる楽園であった。 写真4.岩に囲まれ水深が浅く水生生物がみられる、いろいろな貝殻が落ちており日光を反射する 匿名希望

セネガル:五感で感じる信仰の形

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 現地サポーターの須藤さんとの食事をきっかけに、私の調査は大きな進展を見せた。須藤さんから紹介いただいた安藤さん宅を訪ね、その夫であるカリファさんと出会ったことが全ての始まりだ。カリファさんはティジャーニアの家系に生まれ、ヨルダンでアラビア語を学んだ経験を持つ。自身を「特定の教団というより、一人のムスリム」と俯瞰して捉える彼の視点は、非常に興味深いものだった。そんな彼から紹介されたのが、ティジャーニアのマラブー(聖者)、シェイクさんである。  丁寧な連絡を送るも、四日間の未読。諦めかけていた時、「明日の 16 時半にモスクに来なさい。インシャーアッラー」というボイスメッセージが届いた。 Insha'Allah, 「神が望むなら」を意味するこの言葉は、セネガルでも日常的に使われていて、私自身も普段から使用している言葉だ。しかし、突然のことで心の準備が整わないまま、私は指定されたモスクへと向かった。 写真1.シェイクさんの教え  礼拝を済ませ、少しずつ人が少なくなった頃、ようやくシェイクさんと合流できた。すると彼はモスクの中央にマイクを置き、朗々と教えを唱え始めた。(写真 1 ) 18 時、礼拝の 1 時間前にもかかわらず人が増え始めると、中央に大きな白い布が広げられた。それを約 30 人の男たちが囲み、ついに「ズィクル(神を念じる唱名儀礼)」が始まった。ついに自分の 身体でこの空間を体験できたことに、深い感動がこみ上げる。唱えが終わる 19 時過ぎには、いつの間にか 200 人を超える人々でモスクが埋め尽くされていた。 写真2.マグリブの後のズィクル  日没後の礼拝「マグリブ」を終え、すでに 4 時間近く動いていた私の身体は悲鳴を上げていたが、シェイクさんに「ここに座れ」と促され、再び腰を下ろした。すると突如、モスクの電気が全て消された。暗闇の中で響き渡るズィクル。(写真 2 )視覚を奪われたことで、人々の声と信仰のエネルギーがより鮮明に、ダイレクトに心に響く。興奮が全身を駆け抜けた。 写真3.チェレヤップ 写真4.アタヤ  全ての儀礼が終わったのは、夜の最終礼拝「イシャー」を終えた頃だった。シェイクさんに誘われるまま、モスクの隣にある建物へ足を踏み入れると、そこには豪華な部屋とお手伝いさんの出迎えがあった。そこで振る舞われたのは「チェレヤップ(クスク...

セネガル:初めての長距離バス

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  写真1.人数は 100 人前後乗れる大型バス セネガルの都市ダカールについて約 1 ヶ月が経ちました。現在住んでいる liberte6 や大学の周辺にもようやく慣れてきて、 300 円ほど( 800 フラン)で食べられるセネガルのチェブジェンや、 30 円( 100 フラン)で飲めるネスカフェには常連といっていいほど行きつけになり、安定した生活を過ごすことができています。 3 月 26 日に清水先生の紹介で、短期フィールドワークでもお会いしたモルさんのお宅にお邪魔しました。モルさんのお宅は、首都ダカールからバスで片道 1 時間 30 分ほどの距離に位置する、チエスという街にあります。乗り合いバスは、日本のように出発時間などは決まっておらず、人数が集まり次第出発でした(写真 1 )。この良い意味でも悪い意味でも、時間にルーズな所や遠慮しないところは、一回一回気楽に行動できてとても過ごしやすいです。 写真2.10頭ほどの牛たちが自由気ままに横断していました。 チエスまでは、高速道路が通っており、思いのほか早く行くことができますが、雲一つない天気で乾いた土地にバオバブが点々とあるだけで景色は ほとんど 変わりません。しかし、大きなバオバブの木や、時々スピードが落ちたと思い前方を確認すると呑気に牛が道路を横切っていて(写真 2 )、 日本では、毎年のようにニュースで動物が牧場から脱走し、警察も駆けつけ ます。ニュースを見るたびにほのぼのしますが、セネガルではどこへ行っても奈良の鹿のような扱いをしていて とてもびっくりする光景 でした。何日経っても毎日のように日本ではあり得ない光景(写真3)を見ることができて日々楽しい生活が送れています。 写真3.イメージ通りのとても大きなバオバブが道中たくさんありました。 カラ

セネガル:セネガルの食事

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  写真1.テイクアウトしたチェブジェン 写真2.セネガルに来てから知り合った友人の家で頂いたヤッサプレ セネガルに到着して約 1 か月が経過した。この間の大きな変化と言えば、食事面に関するものである。   渡航直後は周辺で購入できる屋台のサンドウィッチやスーパーマーケットで購入したパスタなど日本でも食べられるものばかり選んでいたが、生活に慣れ散策をする時間が増えたことで、住んでいるアパートの近くや大学の近くに安い飯屋を見つけ、そうしたところをよく利用できるようになった。また、飯屋以外でも散策を繰り返す中で知人が増え、知人の家に招かれてセネガルの料理をごちそうになるなど 、 セネガルの伝統的な料理を食べるようになった。中でも、「チェブジェン」(写真 1 )や「ヤッサプレ」(写真 2 )をよく食べるようになった   「チェブジェン」は、トマトベースのスープで煮込んだ野菜と米、魚を盛りつけた料理でトマトの酸味と魚の旨味、野菜の食感と甘みのバランスがいいセネガルの国民料理だ。この料理は多くの店で提供されており、散策しているとよく見かける。大学で授業が終わったあと、近くにある屋台によることが多いが、その屋台で販売している「チェブジェン」を食べるのが日課になり、時にはテイクアウトして家で食べることもある。    「ヤッサプレ」は鶏肉と玉ねぎを使用した料理で家庭料理としても人気がある。セネガルで仲良くなった人や、調査に協力してくれる人の家に訪問させていただくとよくご馳走してくれる。調理過程で使用する、レモンの酸味と煮込んだ玉ねぎの甘みに香辛料の辛味が加わることで食べていて飽きがこない料理だ。    セネガルの伝統的な料理はほかにもあるが、今の段階でたべる頻度の多い料理はこの二つしかない。まだ食べたことのない料理や、食べる頻度の少ない料理が食べられる店を開拓していくのがこれから目標だ。 匿名希望

セネガル:セネガルの地面

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写真1.滞在している家の周辺の写真。馬や牛、羊、鶏の家畜が放牧されている。いたるところに廃棄物がある。   初めてのアフリカ地域は、想像していたよりも気温が低く、渡航直後の段階では日本との差は感じられなかった。日中は 22 度前後の気温で高いわけではないが、日差しが強く個人的には過ごしやすい温度に感じる。しかし、太陽が出ていない朝と夜は風も相まって体が冷える。日中は半袖のシャツで過ごし、日が沈むと長袖を着て調整した。   セネガルに到着し空港を出ると、これからお世話になる Soda さんが迎えに来てくれていた。笑顔で迎えてくれた Soda さんの第一印象は細かい気遣いをしてくださる方で車に乗って移動する間体調やこれからの生活のことなど向こうから話しかけてきてくれた。しかし、挨拶をしようとするがフランス語学習をおろそかにしており、全くと言っていいほど会話ができず翻訳機を使ったコミュニケーションになってしまった。   大学が始まるまでの1週間は、居住地周辺の散策とラマダン期間中も利用できるお店の開拓、お世話になる方々との交流をしているうちに終わった。この間、居住地周辺にあるスーパーマーケットやサンドウィッチの屋台に加え、野菜や肉、果物、指輪など様々なものが売られているローカル市場で食料品を購入して、日々の食事とした。日中にも開店している飲食店を探して、いろいろな道を探し回ったが居住地周辺には見当たらなかった。   写真2.シェク・アンタ・ジョップ大学周辺の道に自生した植物。日本でも似たような植物がみられる。 このように、居住地周辺や大学周辺を散策してみて気づいたことだが、セネガルの土はほぼすべてが砂である(写真1)。稀に日本でも見られる水分を含んだ土があるが、今のところ植物を育てている場所でしか確認できていない(写真2)。セネガルでは砂漠化が問題となっており土に栄養と水分がないため植物が育たず食糧不足に陥っていることは知っていたが、首都であるダカールでも植物園以外では土は見なかった。   写真3.滞在している家の周辺の写真。理由は不明だが道路に水が溜まっている。  土に栄養と水分がないため植物も乾燥に強い種類なのだと思う。どのような植物が自生しており、どのような特徴があるだろうか。このことは、今回の海外長期 FW の研究テーマの...

セネガル:イスラームの社会

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  2 回目の渡航となったセネガル。初めての渡航は 2024 年 8 月から 9 月にかけ、海外ショートプログラムで、ダカール、サンルイ、ゴレ島など短期間のなかで様々な場所を訪れた。首都ダカールのにぎやかな市場や道路の混雑、サンルイの落ち着いた街並み、ゴレ島の歴史的な重みのある空気、教科書や映像で見てきた「アフリカ」とは違い、そこには人々の生活が確かにあり、日常があった。セネガルの様々な文化に触れ、もう一度セネガルに行きたいと思った。 懐かしさと新鮮さが入り混じり、到着した時は不思議な高揚感に包まれていた。私がセネガルに到着したのは 2 月 27 日であり、ラマダン終了まで約 20 日を残していた。ラマダンとは、月の満ち欠けによって始まる日が変わるというもので、約 1 ヶ月間ある。この期間、毎朝 5 時頃から夜 7 時半過ぎ頃まで、一切の飲み物と食べ物を口にしない。当初はそれほど気に留めておらず、むしろ「断食」自体に興味があったため、楽しみですらあった。 写真① アパートの近くにいる動物たち(撮影日: 2026/02/28 ) しかし、実際にセネガルでの生活が始まると壁に直面した。大学の授業後、喉の渇きと空腹に耐えかねてカフェエリアへ向かったものの、ラマダン期間中のため営業しておらず、どの店も閉まっていたのである。最初の 2 週間は、こうした環境に慣れるまで苦労した。街を歩いていると羊や牛といった動物たちを目にすることがある。これはラマダン終わりのタバスキ(犠牲祭)というもののため、ムスリムが捧げものとして食べるのでラマダン期間中によく目にした。(写真 1 ) 日中の断食を終え、日没後はじめてとる食事をイフタールと言い、家族や友人が集まり、食事を共にする。 そのため、マグリブ(日没後の礼拝)の前は、店が開店し、食材をたくさん持っている人を多く見かける。 実際にイフタールを経験したことがないが、日没前の独特な空気感に触れた。 私自身も断食を経験しようと試みたことがあるが、食事に関しては耐えられても、喉の渇きだけは非常に厳しく、水を飲んでしまった。街を歩くと、人々は唾を吐きながら(体内にものを入れないようにするため)も平然とした様子で仕事や日常生活を送っていた。 ラマダンを実践する人々の姿を通して、信仰に基づく規律ある生活の重要性を実感した。飲食を制...

セネガル:セネガルの人々について

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木彫り職人が仕入れた木材              リシャ―トル出身の学生が住む宿舎               デコさんとセイドゥの会話の様子 GS 学科所属セネガル渡航中 3 回生のあんぱんまんです。 今回はセネガルで出会った私の友人たちを紹介することを通じて人々がどのように生活を営んでいるかについてお伝えできればと思います。 まず初めに紹介するセイドゥは、私たちと同じく UCAD (ダカール大学)で学んでいる友人です。彼の魅力は、まさに圧倒的に明るいし社交的であることです。 UCAD のキャンパスを彼と一緒に歩くと、本当に驚くべきことに、何度何度も「セイドゥ!」と声をかけられます。彼は人々からとても愛されており、彼もまた友人たちに深い愛情を持っています。さらに、セイドゥはとても親切な人です。初めて彼に会った時、私のパソコンが壊れてしまったと話したら、「留学中は俺のパソコンを貸してやるよ」と言ってくれました。驚くべきことに、初対面の私に本当にパソコンを貸してくれたのです。 セネガルの人々、そしてアフリカの人々は一般的に来訪者に対して熱烈な歓迎をしてくれますが、彼のホスピタリティはそれらをはるかに凌駕していると思います。彼はリシャートル出身で、ダカールではリシャートル出身者たちが住む学生宿舎の総代を務めています。何か困っていることはないかと常にリシャ―トル出身の学生たちに気を配っていました。その結果として彼の携帯電話が鳴りやむことはありません。リシャートルはセネガル北部の地域であり、彼がその出身地に対して並々ならぬ誇りを抱いていることが伝わってきます。このように彼のリーダーシップと責任感は、学生宿舎の運営やイベントの企画などでいかんなく発揮されています。セイドゥの存在は、セネガルでの生活や人々の暖かさを象徴しています。彼のような友人と出会えたことは、私にとって非常に貴重な財産です。セネガルの人々の心温まる歓迎とセイドゥのユーモア溢れる人柄に触れながら、私は彼がどのような成長を遂げるのか、非常に楽しみです。 次に紹介するのは、前回のブログ記事でも紹介したマルシェ・スンべジュンで働くデコさんです。彼は木彫り職人たちの棟梁であり、セネガルでは珍しくフランス語とウォロフ語に加えて英語も話すことができる職人さんです。デコさんはカザマンス地方出身ですが、現在はマル...

セネガル:セネガルでは大量のコピースニーカーが売られている?!

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靴屋の様子 サイズの紙が貼ってある 靴屋の様子 偽物のタグ 靴の倉庫の様子 皆さんこんにちは。どうお過ごしでしょうか。 セネガルに関してのブログを記すのも今回が最後になりました。今回はセネガルに住んでいる人の足元に注目してみようと思います。 私は、ダカールはおしゃれな街と聞いて、セネガルに行ったのですが、想像していたものと異なっていました。セネガルに住んでいる人の足元に注目すると、ほとんどフェイクのスニーカーやサンダルを履いているからです。ダカールの HLM地区 の南にあるコロバンという地域に行くとスニーカーを売っている露店がたくさんありました。もちろん新品に見えるものはほとんど偽物です。これがセネガルのファッションの文化を作っているといっても過言では無いでしょう。 ですが懸念点はみんな本物だと思っている点である。皆ジョーダンや、エアフォース1など言葉は知っているものの、オリジナルと思って履いています。それは少し悔しいと思いました。やはり本物と比べると、少し形が違ったり、素材も違いが出ていたりするので、本物を履くともっと似合う、格好いいと思います。 Lamine

セネガル:フィールドワーク

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西アフリカ最大のモスク(トゥーバ) トゥーバのモスクの内部   今回は私のフィールドワークについて書こうと思う。 フィールドワークはセネガルに来た最大の目的である。しかし、私はフィールドワークをすること自体が初めてで何から手を付ければいいかわからない・・・。確かにセネガルに来る前までに計画書をしっかりと書いた。だが、その通りスムーズに進むはずもなくあくまで目安として活用した。 さて、そもそも私のフィールドワークのテーマは女性の衣服と身体所作である。そのため、仕立て屋さんでフィールドワークを行う計画にしていたが、目星をつけた仕立て屋さんに女性のお客さんが来ない・・・。これはどうしたものかと思い、フィールドワーク先を変更し、モスクで行うことにした。 イスラム教では毎週金曜日は特別な礼拝の日でみんな着飾ってモスクに来るのである。そのため金曜日を重点的にモスクでアンケート調査を行った。フランス語が全然できないのでアンケート用紙を作って行えばそれなりに調査は進むだろうと思っていた。しかし、セネガルは公用語はフランス語だが、地域語としてウォロフ語というものがあるため、両方の言語ができる人が大半だが、ウォロフ語しかできない人と出会ったときはとてもコミュニケーションをとるのに苦労しが、幸いにも大体その際に周りに両言語が分かる人がいたため通訳をしてもらっていた。 だんだんと回数を兼ねるにつれどういう風に話しかけたら、話を振ったらよりたくさんの話をしてくれるかなどのコツをつかむことができた。こうして何とか私のフィールドワークが終わったわけだがつくづく思うのが「計画書をちゃんと作っておいて良かった」ということである。もし作っていなかったら、本当に路頭に迷うところだったからである。今回の渡航・フィールドワークを通して、準備は用意周到にするべきであることを身に染みて感じることができた。 Kany Cisse’

セネガル:セネガルにおける交通問題

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  バスの様子 タクシーから見えた街の様子 セネガルにおいて時間にルーズな部分をさまざまな場面で感じたのですが、特に交通においては毎日車道は大渋滞、30分あれば大学に行ける道も最大2時間かかったりしてしまうようなその問題を毎日見てきました。 セネガルにおいて交通問題は長年続いており、改善が求められているのですが解決には時間が必要なため長期化してしまっています。 しかしながら市内でも新たな道路建設や公共交通システムの導入などの取り組みを見ることが出来ました。 その影響で公共交通機関にも遅れが発生し、バスやカーラピが満員になることも日常茶飯事でした。 このような問題は人々の生活に大きく関わると思うのですが、その日常を今まで生きてこなかった私にとってはとても不便に感じ、遅刻を繰り返してしまったり、乗り物を使っての移動に辛さを感じる こともありました。 それに対して毎日戦っている友達や先生などにどう考えているのか気になり質問したところ、全ての人が問題に感じつつもどうしようもない現実から諦めていると話していました。 しかしながら彼らと約束しても遅刻は少なく、社会に慣れる必要がある生活は私たちと同じであり、むしろ渋滞に巻き込まれた時にはもっと長く話ができるじゃないか、などポジティブな部分も見ることができ、乗り物を使った移動も楽しい思い出がたくさんあると今ではそう思います。 Fatou Sagna

セネガル:リシャトール

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  川の奥がモーリタニア コリテの衣装 UCAD で仲良くなった学生の帰省に同行させてもらい、『コリテ』という断食明けを祝うお祭りに参加させてもらった。 リシャトールはダカールよりさらに北にあり、モーリタニアとの国境付近に位置している地域である。ダカールからはバスで約 6 時間で到着する。いざ到着するとお世話になる友人は先に帰省しており、待っていてくれていた。 家にお邪魔させていただくと、ご家族がとても温かく向かい入れてくれた。それから 2 日ほどたったころに『コリテ』が開催された。どうして日にちで覚えていないかというと『コリテ』というものが満月を見たその日に開催されるため同じ地域でも満月を見た、見ていないで開催日時が若干ずれるのである。 『コリテ』の朝は忙しく始まった。まず起きて、「これに着替えて」と言われた民族衣装に着替え、そして食べ物を持ち近所を歩き、周辺の裕福ではない家に食べ物を順に渡しに行った。『コリテ』という行事をあまり理解していなかったため何をしているのか聞くと、友人曰く「周辺の人に食べ物を分け与えることで “ ザカート ” のようなことを行っている」(注意:私の低いフランス語力による翻訳のためもしかしたら間違っているかもしれません)とのこと。それを聞いてまず思ったのが、「周辺の人(ご近所さん)の経済状況丸見えじゃね?」ということ。 日本にはまずない文化であり、価値観のため非常に驚いた出来事である。そのあ とに家で御馳走をたんまりと食べたが、先ほどのことが印象に残りすぎて、今となっては御馳走がどんなものだったか霞んでしまったものである。(苦笑い) Kany Cisse’

セネガル:セネガルの大学

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  授業の様子 ( 撮影日: 2023/04/22) 学食 ( 撮影日: 2023/04/22) こんにちは。このブログも第三回目になったようです。 今回は私たちが通っていた語学学校に付属している大学について書いていきたいと思います。 セネガルのシェイク・アンタ・ジョップ大学は首都のダカールに位置し、学生は国内外と様々でした。私が出会った他の国からセネガルに来た学生はガンビア、ギニア、ギニアビサウなどからであり、逆にセネガルから海外は分野によって異なると思うのですがヨーロッパに渡っている印象でした。 この大学では様々な学問に向けて学部や研究所を備えていて、私たちが通っていた語学学校には国籍も様々でした。 学食は 200FCFA 、約 40 円、この値段にしてはおかわりも自由でとても良い食事であったのですが、場所は暑かったです。食券を買うシステムで、買う時も使うときも学生証の提示が必要でした。 渡航前にシェイク・アンタ・ジョップは誰だったのか調べてみてと本学の元教員に言われたのですが、アフリカ諸国の独立を目指した人で、アフリカ連邦主義運動において重要な役割を果たした人物らしいです。パンアフリカ主義とかかわりがあって調べてみて楽しかったです。 Fatou Sagna

セネガル:セネガルの市場について

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木彫り職人が作成した亀の置物 彫像をつくるために木を切る職人 GS 学科所属セネガル渡航中 3 回生のあんぱんまんです。 今回はセネガルの手工業に焦点を当て、マルシェ・スンベジュンの様子を詳しくお伝えいたします。マルシェ・スンベジュンは、セネガルの首都ダカールに位置し、伝統的な市場の一つとして知られています。前回のブログでお伝えした通り、マルシェ・スンベジュンは魚市場でもありますが、それだけではありません。ここでは、木彫り職人、金属細工師、皮加工職人、貝殻加工職人、絵師など、様々な職人や土産商人が集結し、自身の作品を制作・販売しています。 マルシェ・スンベジュンは、その多様性と活気にあふれた雰囲気で知られており、セネガルを代表する伝統的な工芸品や装飾品が数多く並ぶ光景が広がっています。参加する職人たちは、マリやコートジボワール、ギニアなど、西アフリカ各地から集まり、自身の氏族で伝統的に伝承されてきた技術を活かして独自の作品を制作しています。 私がマルシェ・スンベジュンを訪れた際、特に印象的だったのは木彫り職人たちのアトリエでした。彼らはニット帽をかぶり、タンクトップ姿で熱心に仕事に取り組んでいました。手には使い込まれたノミやカンナが握られ、木の表面に魂を込めながら彫刻を創り出していく光景は、まさに職人たちの情熱と技術の結晶と言えます。彼らは自身の作品の販売ルートを確立するために、素材の調達や販売戦略にも力を注いでいます。 木彫り職人たちは、特にテックと呼ばれる欅の木やエボニーウッドとして知られる黒檀の木を使用し、伝統的な彫刻技法を駆使して美しい彫像を生み出しています。しかし、販路の拡大には少々苦労しているようです。マルシェ・スンベジュンには土産商人も多く存在し、彼らは職人たちが制作した木彫りや金属細工、皮製品、貝殻装飾品などを取り扱い、観光客や地元の人々に販売しています。ただし、職人たちが直面する課題として、自身の作品が土産商たちに非常に安い価格で買いたたかれてしまっているという現状があります。これはマルシェ・スンベジュンの中に職人たちのアトリエがあり、観光客が直接買いづらい立地や、セネガルの現地語であるウォロフ語を話す観光客が極めて少ないことから、起きてしまっているといえるでしょう。私たちがマルシェ・スンベジュンに行けば、土産商と値切り交渉をします...

セネガル:歴史の島

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  ゴレ島で一番有名な『奴隷の家』 ゴレ島でのお土産屋さん セネガルに来て 1 か月以上が経った。 今日はセネガル組のみんなで世界遺産である『ゴレ島』を訪れた。『ゴレ島』は世界遺産の負の遺産として登録されている島である。この島はかつて奴隷貿易の拠点となった場所だ。特にゴレ島の大きな目玉として『奴隷の家』がある。 『奴隷の家』とは、 1776 年に建設された 2 階建ての屋敷で、地下の狭い部屋に 150 人ほどの人数が詰め込まれたと言われる。 さて、ゴレ島の説明はここまでとして、ここからは私の主観で書いていく。 まず、ゴレ島に行く前に船の中でマラカスのような楽器を押し売りされた。押し売りといってもだた「お前買えよ」的なのではなく実際に演奏しながら「こんなんだけど試しにやってみない?」的な感じで声をかけられ、見事にハマり買ってしまったのだ。そしていざ上陸してもまたもや “ 押し売り ” である。しかし今度はガイドの押し売りだ。ずっと断ってもついてくるので諦めが悪く非常に困ったものである。何とか押し売り ガイドの避ければ 、セネガル組の一人がインド人を連れてきたのだ。行く途中の船で仲良くなったらしい・・・。今度はその人を交えながら観光・買い物をしていると、値切るのがすごく上手い。値切るのが下手な私にとって驚くような値段で買っていたのである。それを横目に私も頑張って交渉するがそうそう上手くはいかないため修行が必要である。そんなこんなしているうちにゴレ島も終了。歴史の島であるはずなのに(もちろん歴史的な建築物やスポットを十分に見たが) 私にとっては面白い人たちとの出会いの島となった。 Kany Cisse’

セネガル:まずは自己紹介と現状報告

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GS 学科所属セネガル渡航中 3 回生のあんぱんまんです。 第二回ということで、テーマは歴史的な建造物や魚市場などを、巡った感想について紹介したいと思います。ブログの第一回では食文化について少しだけ取りあつかいましたが、セネガルの魅力は食文化だけではありません。この素晴らしい国には歴史的な名所や美しい自然もたくさんあります。私が訪れたダカール市内には、ゴレ島やアフリカ最西端のポイント・デ・ランドがあります。これらの場所は奴隷貿易の歴史やセネガルの重要な文化遺産を体験できる場所です。強く私の印象にのこっているのはゴレ島にある奴隷収容施設。観光地化して、観光客を獲得しようとする現地の人たちの熱気と建造物やパネルから感じる冷たい歴史のはざまに存在していた自分達がまるで別の世界からゴレ島を見ている気持ちになりました。日本の原爆ドームやドイツのアウシュビッツなども、観光地化されていますが、悲しい歴史を持つ土地で、ここまでの観光熱がある場所は世界でもなかなか類を見ないのではないでしょうか。 また、ダカール市内にはスンべジュン市場と呼ばれる賑やかな市場もあります。ここでは手工芸品や伝統的な衣装、新鮮な魚介類などが販売されており、セネガルのテランガ文化を感じることができます。私はこの魚市場でよくタコを買って刺身で食べています。日本を離れているとこれがたまりません! さらに、ダカール市外には美しいビーチが広がっています。北部にあるニョール島は白い砂浜と透明度の高い海が魅力です。ここでのんびりと過ごす時間は心身をリフレッシュさせる絶好の機会です。 これからも私はセネガルでの様々な経験を綴っていきます。次回の更新では、セネガルの手工業についてマルシェスンべジュンの様子を通じてお伝えしたいと思います。 あんぱんまん