セネガル:3ヶ月のセネガル

写真1.セネガルの大学

セネガルでの3ヶ月に及ぶ長期フィールドワークが幕を閉じました。

最初の2ヶ月間はダカールの大学(写真1)でフランス語の授業を受け、最後の1ヶ月で本格的な調査を行うというスケジュールでした。当初は言葉が思うように通じず、限られた時間の中で深い調査ができるだろうかという焦りや不安を抱えながらのスタートでした。

写真2.日常的に足を運んだモスク。アパートから徒歩1分。

語学の壁にぶつかりながらも、ただ大学とアパートを往復するだけにはしたくない。そう考えた私は、授業が終わると、自ら現地のモスクへと足を運びました(写真2)。言葉が完璧に話せなくても、同じ空間を共有し、挨拶を交わし、彼らの日常に寄り添うこと。その泥臭い積み重ねのなかで、現地の人々も徐々に私の顔を覚え、一人の人間として受け入れてくれるようになりました。

写真3.ティジャーニアのモスクのズィクル
あの厳かな「ズィクル」(写真3)の空間に招き入れてもらい、コミュニティの奥深くを五感で体験できたのも、この放課後のモスク通いで築いた緩やかな繋がりがあったからこそだと確信しています。こうして現地との接点を作った上で、私はラスト1ヶ月の本格的な調査へと踏み出しました。

しかし、いざ作成した質問項目を手に本格的なインタビューを始めてみると、フィールドワークの本当の難しさに直面することになりました。モスクの人たちは私を温かく迎え入れてはくれるものの、いざ踏み込んだ質問をしようとすると、言葉の壁や関係性の浅さもあり、相手の表面的な回答の奥にある「本当に深い話」まで聞き出すことができなかったのです。

この「思うように深い話が聞けなかった」という苦い経験は、私にとって大きな壁でした。しかし同時に、相手の人生や本音に触れるためには、単に質問を重ねるだけでなく、もっと長い時間をかけてお互いの信頼を積み重ねる必要があるという、現地の厳しい現実を肌で知る最大の学びでもありました。

正直に言えば、当初思い描いていたような「完璧で綺麗な調査結果」は得られなかったかもしれません。しかし、言葉が通じないなかで放課後のモスクへ通い詰め、悩みながらも泥臭く現地の人々と向き合ったプロセスには、自分なりの実感が詰まっています。

この「壁にぶつかった経験」と「聞き出せなかった悔しさ」から目を背けず、集まった等身大のデータと誠実に向き合いながら、これからの報告書や卒業論文の執筆に繋げていきたいと思います。

O.T.

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