フランス:トゥーロン攻囲戦と若き副官ボナパルト

 

図1.トゥーロンのマップと行動のルート

この世界には、歴史の流れを永遠に変えてしまった出来事が存在した。それは、人々が自国の王に対して立ち上がった瞬間である。抑圧されてきた下層階級が、もはや支配には屈しないと決意したのである。その出来事は、全世界に大きな影響を与えた。

それが、1789年のフランス革命である。

フランス革命と言えば、多くの者が思い浮かべるのは、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑、不公平な三部会、人権と市民の権利宣言の採択などであろう。しかし、その華々しい出来事の背後には、あまり知られていないが非常に興味深い出来事も数多く存在する。

今回は、その中でも特に私が関心を抱いた一つの出来事、「1793年のトゥーロン包囲戦」について述べたい。

先月、私は南フランスへの旅行を決意した。訪れたのは、P.A.C.A(プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール)地方であり、そこにはニース、カンヌ、マルセイユといった魅力的な都市が点在している。

私は、居住しているアンジェ近郊のナント空港から出発し、美しい海沿いの都市ニースに向かった。ニースではしばらく滞在し、そこから今回の目的地であるトゥーロンへと移動した。人生で一度は訪れたいと強く思っていた場所である。

トゥーロンという都市は、日本ではあまり知られていないかもしれないが、私にとってはフランス革命戦争における最初の勝利を象徴する特別な場所である。革命戦争が始まった際、イギリスとスペインは連合艦隊を派遣し、地中海から大西洋への航路を断つべくこの地を占拠した。しかし彼らの支配は長くは続かなかった。ある若者が登場し、巧みな戦略で事態を一変させたのである。

その若き副官こそが、後のナポレオン・ボナパルトであった。彼は見事な計略によってイギリス・スペイン連合艦隊を撃退し、港を奪還することに成功した。初めて彼の戦略を読んだとき、私は強い衝撃を受けた。その知略の凄さに圧倒され、いつか現地をこの目で見てみたいと強く思った。そしてその機会が、ついに訪れたのである。

トゥーロンに到着した私は、まず宿に荷物を預け、あらかじめ立てておいた計画に従って行動を開始した。今回の旅の計画は、これまでの旅とは一線を画すものであった。なぜなら、私はボナパルトの進軍ルートをもとに観光ルートを作成したからである。(図1)

写真1.トゥーロン包囲戦中に使われた大砲

トゥーロンの街は、湾を囲むような地形で、大きな港を有している。市街地は湾の北側に位置しており、私はまずそこから出発し、港から船に乗って湾の反対側へと渡った。船の上からは美しい景色が広がり、現役のフランス海軍艦船の姿も垣間見えた。(写真1)


写真2.ボナパルトが占領できた要塞

上陸後、私はボナパルトが夜陰に紛れて進軍したという東側の要塞(写真2)へと向かった。私は昼間にそこへ足を運び、要塞の外観を撮影し、入場券を購入して内部を見学した。かつてボナパルトの兵士たちは、敵の大砲を奪取するために死力を尽くして戦った。その地で、私は色とりどりの花が咲く庭園を散策し、要塞の内部構造を興味深く観察した。

ついに彼らは敵の大砲を手にし、それをイギリス・スペイン連合艦隊に向けて配置したという。私が海辺に出ると、そこには当時を思わせる大砲が並び、今なお港に向けて威圧感を放っていた。ボナパルトの命令によって発射された砲撃は、敵艦を多数撃沈し、ついに敵は撤退を余儀なくされた。

私はその場で、漁船やヨット、帆船が穏やかに行き交う光景を眺めていた。

こうして、私はまた一つ、自らが愛する歴史の地を訪れることができた。実際にその場所に立ち、200年以上前の出来事を追体験できたことは、何よりの喜びである。

さて、次はどの歴史を追いかけようか。今から楽しみで仕方がない。

Peak

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